塾のこと、介護のこと。

プログレスゼミナール

コロナの影響で様変わり

 


3月、公立高校受験の月。私立高校は、まだ、卒業する前に合格発表があります。
朝一番にバイク便で学校に運ばれますが、生徒自身が知るのは、放課後。みんな、授業とか上の空で耳に入らないですよね。
最近はインターネットが普及。家庭でもパソコンを持つ家庭が増えました。そんな、ご時世ですので、保護者の方も、私も、9:00の発表と同時に震えた指先でスクロールしていくわけです。
公立は、みんなで、高校に行き、担当者が模造紙を何枚も張り合わせて作成した巻物(笑)を仰々しく開いて張り出していくのを、今や遅しと固唾を飲んで待つわけであります。
そして、自分の受験番号を見つけるや否や、携帯で母親に、そして塾の先生に報告するわけです。
「せんせ~!受かった!」あるいは「ごめんなさい」と言ったきり、号泣する場合もそれは、ある。致し方ない。
私の時代は、公衆電話。10円玉を握りしめて長蛇の列に並ぶ。私の母校は福岡中央高校。自宅から、徒歩15分くらいのところに位置します。最初は、じりじりしながら、順番を待っていましたが、こりゃあ、家に帰って報告したほうが早いと、小走りに帰りました。
母は、てっきり、電話があるものと思っていたので、直帰した私への、第一声は「落ちたろう?」でした(苦笑)
けれど、今回は、濃厚接触を避けるために、450名以上の受験生のいる高校は、ホームページ上で閲覧できる配慮がなされました。
例年ですと、今か今かと、連絡をやきもきしながら、待ったものですが、今年はすぐに自分の目で確かめられます。
9:00と同時に県のホームページを開くまではよかったのですが、そのあと、発表のサイトに飛ぶまでにあたふたしていたら、もう、数分も違わずにラインでの連絡が生徒たちから入り始めました。私の予定としては、いち早く自分の目で生徒の受験番号を見つけ、「やったあ~」と、叫び感涙する予定でしたが、若者には勝てず。感激が半減。若いお母さん方はすぐにサイトが開いたみたいで、やり方を教えてもらいましたが、ちんぷんかんぷんで、教育委員会に電話すれば、若い職員が、「ですからwコロンスラッシュを~」と、これもわからんのかという感じ、いえ、いえ丁寧に教えてくださいました(苦笑)

実は、一人の男子は志望校推薦入学は叶いませんでした。なんと、行先番号を確認せずにバスに乗ってしまい、乗り間違いに気づき試験開始前3分にぎりぎり間に合った子です。
多分、ちょっとそれがマイナスに働いたでしょうね。お母さんの話では、公立入試日も一日間違えていたらしく、もう、その子が「先生」「番号ありました」と、ラインしてきてくれても、そりゃ、この目で見るまでは信じられません。あたふたしながら、ようやく開けた!
あった! よかった! みんなよりは、遅めの感激に浸りました。
また、450名以下の高校や、市立の高校は直接掲示を見に行かねばならなかったので、今度はその子たちの合否の連絡待ちでした。
塾での模擬試験はあまり高得点を採れていなかったので、心配していましたが、案外合格者が多く、嬉しい誤算でした。

コロナの影響で大手塾は軒並み休みとなりました。私も迷いましたが、生徒がさほど多くないこと、そして、自宅では多分ひたすら勉強はできないだろうと、休まないことに決めました。
特に中3は試験前の1週間は、昼も夜も来させました。これが結果的に功を奏したかどうかは、わかりませんが、ほんとに、健康で何事もなく受験が終わったので、ほっと、胸を撫でおろした次第です。

今回の、コロナ騒動。安倍総理にも批判が集まりましたが、誰も経験していないこと、ある意味有事、トランプ大統領は、 “WAR”戦争だと言っています。両親たちが経験した戦争とは比べ物にならないのかもしれないけれど、当時の辛さ・不自由さが少しわかった気がします。そして、間違いなく、このことにより、子供たちの学力が急降下するであろうことも。
生活習慣も乱れるでしょうし、今こそ、家庭の力も問われます。
私も微力ながら学校に行けないでいる生徒たちの学力をキープさせ、また、UPできるようがんばって行きたいと思います。

プロゼミ 小川文子

感情が薄い子供たち

 


みなさん、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
お久しぶりの投稿になりました。

さて、最近あるTV番組で興味深い話を聞きました。子供の成長を見てもらうために行く健診。
そこで、あるお母さんは先生から、あなたのお子さんは、とても、感情が薄いです。喜怒哀楽がはっきり出せるように、してくださいねと、言われたそうです。
普通、健診といえば、体重が足らないだとか、身長が標準以下だとかを言われる感覚ですよね? きっと、そのお母さんも面食らわれたかもしれませんが、いい先生に出会われたと思います。
それから、お母さんはあることに気づかれました。ある、お笑い芸人がTVの画面に映ると大声で笑うことを。私も好きです。「千鳥」の大悟です。あの、独特の岡山弁で、のらりくらり話すところがたまりません。この、赤ちゃんは通好みですね(笑)粋ですね(^^♪
で、実際会わせてやろうと、ある企画番組に依頼。実際会うことができることになり、いざ、ご対面。すると、ブラウン管(いや、今は違うか、笑)から憧れの人が実際飛び出してきたことに驚いたのか、なんと、号泣。笑顔はついに見られませんでした。けれど、お母さんはそれでも、大喜び。こんなに、大きな声で泣き感情をあらわにしたことが初めてだったから。

今の子供たちも健診の時、そういう先生に出会っていたらなと、私はつくづく感じています。
能面のような子がなんと多いことか。にこりともしなければ、怒りの表情も見せない。
元気いっぱい、「こんにちは、さようなら」の挨拶もできない。魂の抜けたような表情ばかり。
実は、このことが、勉強にも大いに影響します。
福岡県の入試問題の中で英語は全国より、比較的簡単です。特に会話文は点取り問題です。
例えば、「顔色悪いね、どうした?」と聞かれ「おなかが痛いんだ」となれば、「そりゃ、大変だね、お医者には行った?」みたいに、ある程度、スムーズに会話が成立するものです。
きれいな花をみて、「わあ、きれいね、見てみて」となったら、「どれ?わあ、ほんとだ」となってもよさそうなものですが、そもそも、いや別に何とも思わないからとか、言われたら、もう、正解を見つけ出すことは、困難です。顔色悪い子を見ても、何も感じなければ、これまた、正解は見つけ出せない。
感情が希薄だと、コミュニケーションもとれないから、言葉のキャッチボールも不可能。
よく、食事中は私語もせず、TVも観ずに、食事に集中するようにという、躾をなさるご家庭もあります。大声で笑ったり、顔をしかめたりするのは、下品だと教える家もあるかもしれません。慎み深いことと、感情を顔に出さず気持ちを抑えることは違う気がします。
例えば、お葬式の最中にゲラゲラ笑ったら、NGでしょうが、やはり、よく遊び、よく学んで、よく食べて、よく動いて、よくおしゃべりして、笑って、怒って、泣いて、楽しんで人生送ってほしいです。
そういえば、昔、ある知り合いが言っていました。
「私、人が泣いている場面をみたら、ああ、悲しいのか、じゃあ、私も泣こう、あるいは、笑っていたら、楽しいのか、なら、笑おうと思って笑うようにしている。自分には、そんな感情がないから」と。
私はそれを聞いて絶句。はあ~、そんな人もいるんだ。
私は少し、感情コントロールが必要かなと思うくらい、怒ったり、笑ったりしているから。

生きていくうえで何が果たして正解かはわかりませんが、やはり、感情が薄いということは、人生、少しばかり、損をしている気がします。

プロゼミ 小川

教育虐待

 


最近、父親が、小6の我が子を刺殺したという、事件があった。
私立中受験に向けて自宅で父親が勉強を教えていたのだが、なかなか成績が伸びない。
勉強量も足らない。厳しく厳しく何が何でも名門私立中に合格させるべく、これだけ教えているのに自分の思い通りの成果を出せない息子に、父親は絶望し、腹も立て、刃を向けてしまった。
そのニュースの後にも同じような理由で、我が子を引きこもりにしてしまった父親がいるという話も聞いた。

こういったことは昔からあったとは思う。親や教師が、教育・しつけの一環として体罰をふるっても認められてきた時代だ。その時代に生きてきた両親に育てられてきた子供が今度は親となり、同じように我が子に接する。ごく、自然の成り行きだ。自分もそのように教えられしつけをうけ、いい学校、いい会社に行ったのだ。だから、我が子にもそうなって欲しい。そうなるべきだ。いや、そうなるに決まっているという、強い思い込み。
しかしながら、今の子供は塾で指導していても思うのだが全然堪え性がない。
昔はこうだったんだよと、両親やベテラン教師に言われると辟易として、自分はそうなるまいと思っても実際やはり、同じことを、生徒に言っている自分がいる。
怠けている。楽な方楽な方に逃げようとしている。臭いものにふたをして、目を背けようとしている。
いらいらするし、腹が立つし、なぜわかってくれないのだと、地団駄を踏む思いも度々だ。
でも、あの、有名な柔道家山下泰裕が以前言っていたのだが、自分は厳しく指導された。ナニクソ!の精神で歯を食いしばって頑張って、オリンピックでも金メダルをとれた。けれど、今考えてみると、自分は指導者からの叱咤激励に対し、耐えうる根性を持っていた。今、同じように今度は自分が弟子を指導しても、それについてこれる人間がごくわずかであることに愕然としたと。そして、学んだ。人は自分とは違うことをと。

私も、同じようなことを思う。負けるもんか、見返してやる。逃げるのはいやだ。
だから、私の思いにこたえられずやる気のない生徒には、本当に腹が立ち、根性なし!と罵倒したくなる。
けれど、なかには、本当にわからない子もいる。何度教えても問題の意味が理解できない。一つ覚えたら一つ忘れるの繰り返しの子供。はなから、やろうという気の起きない子。
となると、私は考える。 ああ、この子は普通科より工業科がいいかな。この子は、この高校には受からないな、一つか二つ下げた方がいいかなと。
最終的には高望みしても正直最大値、脳内のキャパシティーは、各自差があるのだから、それを認めてあげなければならない。やらばできると親は信じたい。私も信じたい。けれど、やればできるという考え方のレベルが本人のそれと違うなら、もう、そこは綺麗さっぱりと、切り替えねばならない。
成績の良さと、その子の人間性は違う。成績が良くても悪さをする人はたくさんいる。
有名大学に行っても殺人を犯す人だっているのだ。
ところが、何が何でもペーパーテストの点数こそがすべてだという凝り固まった偏見を捨てきれないと、こういった悲劇を招いてしまう。
子どもは親の所有物ではない。
子どもには子供の人格がある。
ところが、親の中には、こどもの出来不出来がそのまま自分の出来不出来に関わってくると思い込む人もいるらしい。
「まったく、うちの子ったら、何回言っても勉強しないわ。でも、知ったこっちゃないわ。私は私。子供はこどもで、別個の人間なんだもん。とにかく、人様に迷惑はかけないこと。思いやりの気持ちを持つこと。ある程度の一般常識、生活習慣さえ身に着ければそれでいいわ」と、考えられる親になれば、こんな悲劇は生まれなくなるだろうと思う。

プロゼミ 小川

子どもの日

 


子どもの日
今年は10連休。
令和の時代が始まる。

毎年日本の出生率は低下の一途をたどっている。
その反面世界各国では出生率こそ増加しているが平均寿命は延びることのない貧しい国もたくさん存在している。
私はなぜだか最近TVなどでその子供達のいたいけな姿を目にすると、とても心の痛みを覚える。昔から、その痛みを持ち合わせてはいたが、だからといってその子供たちの為になにがしかの寄付をしようなどとは、思いもしなかった。それどころか、こっちが寄付してほしいくらいだと、どこか醒めていた。
けれど、今は違う。
昔よりも確実に収入は減っているのに、何かしてあげたいというう気持ちに突き動かされる。
だから、わずかではあるが、国境なき医師団とユニセフに毎月寄付をすることにした。

自分の心境の変化の一因は、今の塾生(いや、日本の大半の若者たちにも言えること)にあるような気がする。
刹那的と言おうか、他人のことには無関心すぎると言おうか、表情に乏しい子も多い。
弱いものに対する慈しみの眼差しも持っていないが、強いものへの反骨心、闘争心も、何もない気がする。
そして、そういうこととは裏腹に必死で生きようとしている子供達や、学校に行きたくても行けない子供達、食事もろくに出来ない子供たちを見ていると、いてもたってもいられなくなり、少しでも寄付をしたいという思いに至った。
なんだか罪悪感さえ覚えてしまったのだ。
電車に腰を下ろすと一斉にスマホ。
コンビニやファストフードで買った軽食をむさぼりながら目の前にお年寄りが立っていてもお構いなしに、友人たちと馬鹿笑いしながらスマホをいじり続ける。
多分、そのことの何がいけないのかもわからないだろうし、言ったところで理解もできないだろう。
だからこそ、私は、尚更身につまされる。この子たちと両極端にある子供たちを微力ながらも助けてあげなければと。

子どもの日。
世界中の子供たちに幸せになって欲しい。普通に食事して、普通に学校に行き、病に侵された時は病院に通える。そんな当たり前のことを当たり前に出来るようになってほしい。そして、この当たり前を当たり前とも思わない、今の子供達がいつかは、そのことに感謝して、そして、自分達も及ばずながら困っている人々を助けてあげたいと思うことができるような大人に成長して欲しい。
叶わぬ願いだろうか?
でもそれでは、あまりにも悲しすぎる。
みんなを信じたい。

プロゼミ 小川

詐欺の子

 


最近NHKで実話をもとにしたドラマが放送された。
オレオレ詐欺に加担した、少年たちの証言をもとに構成されていた。
所謂、受け子と呼ばれる役をやらされていた、いや、やっていた人間の中には、中学生の男の子もいた。
気楽にお小遣い稼ぎができることに魅力を感じたのか?
そうではないようだった。考えてみると、オレオレ詐欺は一人ではできない。そこに、必ず仲間がいる。その子は、そういう仲間たちと一緒にいること、そのものが楽しくてしようがなかったと言う。
その子の家は、共稼ぎか、あるいは、母子家庭か、定かではないが、家に帰ると妹はテレビゲームに夢中。テーブルの上には母親からの置手紙。
「焼き肉ピラフあるから、食べてなさい」母親が働きに行く前に作ってくれているのか?
いや、何のことはない。冷凍庫にぎっしりと詰まっているピラフを電子レンジでチンするだけだ。その子は、詐欺仲間たちと買ったスナック菓子や飲み物をワイワイガヤガヤ言いながら食べる方が楽しくてたまらない。さみしさを埋められるからか。
ただ、我が子を思いよろしくお願いしますと頭を下げる老母に対し、徐々に罪悪感を募らせていく。そして、自ら警察に捕まるべくわざと、ドジを踏む。そして、芋づる式にほかの仲間も捕まっていく。
一人の青年は弁護士に冷めた口調で言う。親に虐待されたのか?に対する答えだ。暴力よりも辛かったすよ。先生、お前はランドセルが似合わないなんていう親います?
ドラマの構成上、現実に罪を犯した人の証言やインタビューも途中で入るので、きちんとした脚本はないから、問われた弁護士が無言のまま、その場面は終わる。
また、別の捕まった青年は、家が貧しく詐欺を働いて得たお金はそっくり、母親に仕送りする。あまりにもの大金に母は訝しさを覚え、一円たりともお金には手を付けなかった。
そして、テレビのニュースで息子の友人が捕まったことを知り、自分の息子も仲間だということを確信する。母親は詫びる。貧乏な家に生まれた我が子に何もしてあげられなかったと。そして、返して来いと貯金通帳を渡す。息子は、警察に出頭して、裁判が始まる。検事から詰め寄られる。あなたは、自分の境遇を不幸だと思っているかもしれない。
けれど、あなたと同じような境遇の人がみんな犯罪者になっていますか?
そうではないでしょう? 辛い境遇の中、貧しい中、みんな必死で努力して頑張っているんですよ。そして、真っ当な職に就いているんですと。
息子は言う。「うるせえよ。みんながみんなそうじゃないんだよ。やらなきゃと思ってもできないやつもいるんだよ」と。
検事は、「は?」と小馬鹿にした感じで言うと、またもや同じことを続ける。
考えれば、検事や弁護士になる人たちである。優秀であったに違いない。貧しくとも十分奨学金ももらえ学問も続けられてきたはずだし、努力も惜しまなかっただろう。
だからこそのごもっともな意見なのだ。きっと、犯罪に手を染める若者の気持ちなど分かるはずもないだろう。
私は、涙が出てしょうがなかった。
私も同じことを生徒たちに言っている気がしてならない。
なぜ、宿題をやってこない。なぜ、頑張って問題を解こうとしない。もっと、努力をしなさい。小学校で習ったでしょうと。
言われた生徒は何も言えずただうつむいているだけ。或いは、泣きそうな顔で訴えかける。
「先生、聞いても分からないんです。だから、授業でもさっぱり何を言われているかわからなくて」と。
頭の中で筋道を立てながら問題を解く。実際条件をノートに書いてみて、それをもとに思考する。こちらにとってはそれが至極当然のことであっても、やはり偏差値の低い人はそれができずにいるのではないか。偏差値は努力次第でいくらでも上がるは幻想なのかもしれないとも思う。
塾を経営しているのだから、生徒たちの成績を上げることが使命には違いないが、今回のドラマを見て考えさせられた。
みんながみんなじゃないんだよ、やりたくてもやれなくて、どうしようもなくて……

新学期がまた始まる。少しこれまでとは目線を変えて生徒たちに接してみようと思う。
そして、ほんの少しのことにも「頑張っているね」と声掛けをしてあげようと、今の段階では決めている。
どうなることやら(笑)

プログレスゼミナールイメージ

プロゼミ 小川
天才とは努力する凡才である。

合格おめでとう

中村女子高校GIコース(英語重視のコース)
東福岡高校 進学コース

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