教師冥利に尽きるのは・・・

塾のこと

まるまる三年間のマスク生活を強いられて過ごした、我が塾生達も今年の春から、晴れてピカピカの高校一年生になりました。
中1に上がった当初は、まだオンライン授業もうまくいっておらず、通常の中学一年生とは違い、彼らは、しばらく自宅にて勉強をせざるを得ませんでした。
学校側の通達では、自宅では親が指導してくれということになっていました。ある中学校はポストに先生がプリントを投げ入れて回りました。それで、先生の仕事はおしまいです。あとは、家庭にお任せです。ほぼ共稼ぎの家庭が主流の現代。しかも、リモートワークで在宅の方もいますが、いわゆるエッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事に就いている場合は、我が子を置いたまま仕事先に出かけなければなりません。帰宅して夕飯の支度をして、片づけて、その上子供の勉強をプロの教師に成り代わり教えるなんて、どだい無理な話です。
ようやく6月くらいから通学が始まりましたが、夏休みもほぼありませんでした。その時の受験生も可愛そうでしたが、本来なら期待に胸を膨らまし、中学に入り、新しい勉強に触れ、新しい友人を作り、そして部活で汗を流すというほんとに至極当然のこの一連の流れを経験していない彼らも、ある意味コロナの被害者でした。
そういうわけで、彼らが、中2になった時、とても大変でした。
普通中1で学力や体力の基礎を付け、中2は、随分中学校生活にも慣れて、余裕というか、いわゆる中だるみしてしまう学年です。この、中だるみは中3になり、受験に精を出すためには、ある意味、インターバル期間となり、体力面でも精神面でも、とてもプラスに作用する時間です。けれど、彼らには、それはなかった。中2が、まるで本来の中1状態となってしまいました。基礎学力も体力も殆どつかないままに進級した形になりました。
ですから、塾に来ても、部活で疲れ果て爆睡したり、何度教えても単純な内容が理解できなかったり、それはそれは大変で、それが中3まで尾を引きました。
入試間際には、毎日のように塾に来てもらって、特訓につぐ特訓です。
推薦入学を希望した子は塾でも何度も作文を書き直し、それでも学校の先生にOKを貰えず、精も魂も疲れ果てていました。
けれど、みんな、必死で頑張り、見事志望校に合格しました。
左側の男子は、小1から丸9年通いました。早生まれでしたので、小1の時は言ってみれば幼稚園の年長と変わりません。脱走をはかり((笑)逃げ出したのを連れ戻し泣き叫ぶ彼を膝の上に乗せて勉強させました。それが、なんと、今は、靴のサイズ29センチもある、立派な高校生に成長しました。(ちと、にやけているけど(笑)そこは、ご愛嬌)
真ん中の女子は、小2から。歯が抜けてますね((笑)この子も小学校時代が学業面だけではなく友達関係でも悩み、塾で何度も悩み相談を受けました。志望校も正直崖っぷち!
不合格の公算が高く、おうちの方も、もしもの場合を考えて別の高校も探しておられました。それが、まさかまさかの合格! しかも奨学金までいただきました!
見てください! このはちきれんばかりの満面の笑み! まさに努力に勝る天才なしです。
そして、右端の男子。二人の小学校からの大の仲良しでした。別の塾に通っていたのですが、急遽中3になり、当塾に入会しました。
聞けば、前の塾は、言ってみれば、もぐり? 市販の教材を使用し、宿題もあまり渡されなかったそうです。ですから、テスト形式の勉強にも慣れておらず、そもそもが、テスト前にはどのような勉強をするのかというやり方も心構えも教えてもらっていないようでした。その場限りのちょちょいのちょいの指導しか受けてこなかったようでした。
いやいや、勉強ってそもそも、自分でやるものでしょう? 心構えとか人に言われてできるんかい?と、ツッコミをいれる人もいるかもしれません。
確かにそうですが、やはり、とっかっかりは、先輩である我々指導者が、「いい? 受験というものはね・・・」と、噛んで含めるようにしっかりと教えていかねばなりません。そのうえで、みんな、はた!と気づき勉強に精を出していくわけです。

3月の興奮しながら「受かった~」と喜びを爆発させた女子。男子は、ほんと、淡白です。「受かった・・」の一言電話やLINEです。
けれど、4月も終わろうとしている頃に女子が代表で塾に遊びに行ってもいいですかと、連絡をくれ、真新しい制服に身を包んだこのトリオがやってきてくれました!!
まさに教師冥利に尽きるとは、このことですね。
また、これから3年間楽しいことばかりではなく辛いことも待ち構えていることでしょう。けれど、きっと、乗り越えて進んでいってくれると思います。だって、私のしごきに歯を食いしばって頑張り続けてくれたんですもの。強靭な精神力は身についているはずですから。

プロゼミ 小川

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