母の日

介護のこと

今年も母の日が近づいてきました。
両親がまだ、自宅で生活出来ていた時は、何かしらのプレゼントと、二人とも大好きな16区のケーキ「オペラ」を、誕生日・母の日・父の日には欠かさず用意して、紅茶とともに楽しんだものです。父は認知症だけではなく色々な持病があったため、入退院を繰り返しており、居住スペースとして、施設にいるというよりも殆どが晩年はベッドの上で寝たきりで過ごしました。食事もままならなかったので、誕生日や父の日と言っても、結局はパジャマ等ばかりがプレゼント(?)になりました。母は脳梗塞の後遺症のため自宅までの階段を物理的に昇降できなくなり、結局早めに施設に入居しました。認知症による周辺症状も治まっており、入居時からしばらくは、ずっと穏やかに笑顔を絶やさず過ごしました。

左上の写真 コロナ前だったので、直接カーネーションを持って行きました。「お母さんありがとう」のプレートを持って私とおさまっています。コロナ禍は、残念ながら面会できなかったので、母の日に届くように花屋さんに注文して送っていました。
左下の写真。険しい表情ですよね? 昨年の5月です。 その年の1月、私は施設から呼び出しを受けました。(母とは面会叶わず)母の余命についての説明でした。最近食欲も落ちてきているし、いつ何があってもおかしくない。延命治療の有無や、最期の看取りは、このまま施設に任せるかなどの確認でした。母は、機嫌のいい時は、スタッフに「ありがとう」や「大丈夫よ」とか「大変ね」とか思いやりのある声掛けをしていましたが、一時は収まっていた怒りの感情が現れるようになっていました。丁度それが母の日に出たのでしょうね。それから二週間後が右下の写真です。もうそろそろかもとお医者様から言われました。居室もスタッフの目に届きやすい2階から1階へ移動。面会も許されました。雨の日も風の日も熱い時も私は、この時から7月初めまで通い続けることになります。この右下の写真を撮った日が、5月28日、亡くなったのが7月3日でしたから、母に残された命は、あと、1か月と少しだったのですね。未来のことは誰にもわからないから、このあと1か月余りで母が亡くなるなどと、いくら覚悟はできていても思いもしませんでした。もともとLLサイズの母でしたから、もう、パジャマだぶだぶですよね? 何回袖を通せるかわからないけれど、大急ぎで小さいサイズのパジャマを山ほど注文しました。表情は穏やかですね。もう、そのころは殆ど薬をやめていました。それが却って良かったのでしょう。クリアな感じがします。認知症は進行していくと、そして、死期が近づいた場合もいわゆる多幸感が出てきます。
これは、神様の最後の贈り物かもしれませんね。苦しまず、穏やかに、旅立っていくために。

右上の写真。満面の笑みの母とちょっと威厳を持ち誇らしげに写真に納まる父。
この頃が、両親にとっては一番充実していた日々だったかもしれません。
市の街路化計画で土地を処分しないといけなくなり、残りの土地に4階建てのビルを建て、
念願であった、たばこ店を母は営むことになります。父も定年退職後店を手伝いました。
時はバブル!ちょっと下品な言い方になりますが、面白いように儲かりました。元々母は、商売人の娘だったので、商売の才覚があったのでしょう。10件ほどのテナントにたばこや、ジュースの自動販売機を設置しました。母が店番、父が自転車に乗ってせっせと商品の補充回り。駄菓子も売るようになり、プロゼミの生徒は、勉強しに来ているというよりもその後に買う駄菓子を楽しみに来ていたような気がします。そして、その頃、ふと、気づいたことがあります。母は海老が嫌いだと言っていました。けれど、この頃はよく海老を食べていました。また、指輪とか洗い物の時なんかに邪魔だし、嫌いだと言っていたのに、結構指輪を買うようになりました。それまでは、我が家の経済状態は決して裕福ではありませんでしたが、私や妹には成人式の振袖を仕立て、冠婚葬祭には欠かせない真珠の指輪やネックレスを母は用意してくれました。自分の贅沢は食べ物すらも後回しにしていたんでしょうね。そして、私達も自分の食い扶持を稼ぐようになり、子供にかけるお金も少なくなり、漸く、母は少しずつ自分の贅沢にお金をかけられるようになったのでしょう。

最近、私の大好きな作家重松清の「はるか」という小説を読みました。もちろんフィクションなのですが、走馬灯(よく死の間際に見るといいますよね?)を自由自在に作り変えることが出来る会社があるそうです。依頼された人の背中に手を当てると、その人がこれまで歩んできた人生が、正にその時点で会社の人の目の前に走馬灯のように次から次に流れてくるのです。そして、無意識に本人が削除して欲しい場面はモノクロに、絶対最後に見たいと思う場面には色がつくのです。母も走馬灯を見たでしょうか? 私と大喧嘩したときの場面はモノクロでしょうか? 妹に子供が生まれたときは、きっと、カラフルな色がついていることでしょう。父は父なりに母は母なりに納得のいく人生を送ってくれたと私は信じるしかありません。
TVでは、母の日のプレゼントに関するCMが流れ、道行く人はカーネーションや、ケーキの箱が入った袋を手にしています。
仏花には似つかわしくないけれど、私はカーネーションをお供えしようと思います。

プロゼミ 小川文子

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