塾のこと、介護のこと。

プログレスゼミナール

お誕生日会

 

母が米寿の年を迎えました。
父より一つ長生きしました。 私の願いが叶いました。
父が天国から見守ってくれているのかもしれません。 母は感極まって涙、涙。
認知症でも感情はしっかり残っているという証拠です。
以前も話しましたが、最近よくテレビで芸能人たちの奮闘記が放送されます。
父が母が認知症になった、奈落の底に突き落とされた。しかし、最後まで介護することを決意した。バリアフリー化も自分自身の手でやるんだ!!
映像を見て、その番組の出演者は拍手喝采。 すごい、偉い、感心だと。
ずいぶん前に、ある大物俳優が父親を老人ホームに入れたことで、ものすごくバッシングを受けたことがあります。彼は、一言も記者たちに世間に対して口を開こうとしませんでした。テレビドラマでも老人ホームを姥捨て山のようなイメージで取り上げる脚本が以前は目立ちました。
けれど、24時間そばについてあげることが出来ないとき、たった一人ぼっちで自宅に置いておくよりも栄養管理・体調管理を毎日してくれて、こんなに母が喜ぶつような毎日を与えてあげることがほんとの親孝行ではないかなと私は思います。フラダンスの男性は施設長です。はにかみながらも、場を盛り上げるために一生懸命でした。
その俳優もきっとそう思ってのことだったのではないでしょうか?

さて、10月は私の誕生日でもありました。 塾に行くと、生徒たちがホワイトボードにお祝いメッセージを書いてくれていました。そして、ハッピーバースデイの合唱です。
来年で塾を始めて30年になりますが、こういう時にほんとに塾を続けてきてよかったと思います。
この中で何が気に入ったかというと、26歳になっているところ(笑)
もう言うことなしです!!

そして、失礼(?)かもしれませんが、このサプライズの中心になってくれた生徒たちが
正直決して成績はよくないということです。
若者が犯罪をおこしたら、あの、優等生がなぜ? あの、名門大学の学生がどうして?というような見出しが紙面を飾ります。
以前、成績が振るわないお子さんをお持ちのお母さまが、憤懣やるかたないという感じで私におっしゃったことがあります。
「じゃあ、先生、頭悪かったら罪を犯しても当然っていうんでしょうか? うちの、子供はとても優しくていい子なのに」と。
私は常々成績が振るわず不貞腐れてしまう生徒に言います。
成績の良しあしと人間性は違うよと。
成績を上げるべく努力は当然しないといけない。
それは、学生の本分だから、怠けてはダメ。だけど、絶対自分をダメ人間と思ってはいけないよと。
この、サプライズも頭がいいから思いついたのではなく優しい心根からのこと。
人にとって、いったい何が一番大切かをこの二つのお誕生日で改めて感じさせられました。

プロゼミ 小川

拉致被害者の会

 

Icon symbol of struggle and awareness, blue ribbon. Ideal for ed7月8日に福岡で拉致被害者を救う会の集いがあり、参加してきました。
拉致問題担当大臣も福岡県副知事も福岡市長もいらしていました。
けれど、正直原稿棒読みの感、無きにしも非ず。
心がこもっていない気がしました。
実は、私はずっと以前から拉致の件については関心がありました。
被害者もそのご家族もちょうど私の世代の方々です。他人事とは思えませんでした。
特に横山めぐみさんに至っては、まだ、わずか13歳。胸が痛いです。
私は塾でその年代の子供たちを教えています。
めぐみさんもそうですが、若くして特攻隊になりゼロ戦に乗って、玉砕していった若者のことにも特に夏が近づくと思いをはせます。
今の若者は、体たらくすぎる。 甘えすぎ。叱られればしょげるか逆切れ。
「お前たちのために、こんな世の中を作るために彼らはお国の犠牲になったんじゃないぞ!」と怒鳴り散らしたいこともしばしばです。
そして、こんなに幼く、こんなに甘えんぼさんの年頃の子供が、そんな不幸な目にあったのだと思うと、もう、かわいそうすぎて、私が親なら気が狂ったのではなかろうかと思います。

実際被害者の家族の方のお話も伺いました。涙が止まりませんでした。
これは、私も今認知症の親を抱えているから、なおさら身につまされる思いがあったからです。
もう、40年だそうです。拉致が行われてから。一人の後援会の方がおっしゃっていました。
僕が、大学卒業して定年迎えるまでですと。ほんとですよね。人生で一番輝いているときです。
北朝鮮に連れていかれた当事者は勿論のこと、帰還を待ちわびている家族ももう猶予がありません。
松木薫さんのお父様はお母さまの肩に手をかけたまま、息を引き取られたとか。そして、お父様が亡くなられてからお母さまは認知症発生。徘徊もひどくなる一方だったとか。
私の母も認知症ですが、私が娘だとわかっています。薫さんのお母さまも娘さんに「薫はどこ?薫は?」と何度も聞かれたそうです。娘さんは「海の向こうにいるけれど、きっと帰ってくるからね」と、なだめるそうです。
けれど、お母さまは朝から晩まで、海辺のテトラポットに座りずっと息子さんの帰りを待っている。毎日、毎日・・・
そのうち認知症が進み帰りの道がわからなくなってしまい、名札をつけることにした、けれど、その名札も引きちぎる。だから、履物に名前住所電話番号を書いたと。
会場からすすり泣きが聞こえてきました。皆さん私同様身につまされていらっしゃるのがわかります。私と同年代、そしてその親世代が殆ど会場を埋め尽くしていらしたから。ほんとなら、そこに若い人の姿もあってほしかった。まだ、現在進行形の事案です。みんなが我がことのように思ってほしいのです。
その後とうとう病院に入ることになったお母さま。今度は若いスタッフや入院患者に「かおる!」と言ってしがみつくそうです。中には、気性の荒い患者さんもいるようで、時には投げ飛ばされたのか殴られたのか目の周りに青あざをこしらえていたこともあったそうです。
今書いていても涙があふれ出てきます。私の両親とだぶってしまうから。
父もまだ自宅にいるとき私がカギを締めても何度もカギを開けたことがあります。
妹がまだ帰ってきていないからというのです。妹は既に嫁いでいるのに、学生のままだと勘違いしているのです。仕方がないから「今は修学旅行だから」とか言ってなだめます。

薫さんのお母さまはある時から車いすになられます。徘徊もある。へたしたら、病院スタッフがうっかり目を離しているときに外に出るかもしれないし、また、青あざ作るかもしれない。
「足をとりますか?命をとりますか?」と先生に言われたそうです。ですから、はっきりおっしゃいませんでしたが足は拘束されたかもしれませんね。
そして、お母さまも待って待って待ちくたびれて、とうとうこの世を去られたそうです。
娘さんは言われたそうです。天国でお父さんと一緒に薫を探してね。空からの方がよく見えるよと。
横田めぐみさんの弟さんも講演されました。ご両親も随分お年を召され、お父様は特に体調が思わしくないとか。お父様は弟さんの前では決して涙は見せなかったそうです。
ただ、一度、お風呂場でむせび泣いているのを目にしたことはあるそうです。

気が遠くなるような、長い長い歳月。 心が折れそうになるそうです。 そりゃあ、そうですよね。
何とか、今年中に拉致被害者全員の帰国を目指したい!!と大臣も言っていましたが、本当に本当に心底思います。

母の施設に今日も行ってきましたが、正直私のように頻繁に面会に訪れる家族は少ないです。
母の日にカーネーションプレゼントされていた方もごくわずかでした。拉致被害者の家族と違い会おうと思えばいつでも会える環境がどれだけ素晴らしいことかわかってほしい。
もう、みんなと顔なじみの私。ご家族さんの代わりににこにこ愛想を振りまいて参りました(笑)

プロゼミ 小川

姪の涙

 

父が亡くなって5年になる。
両親ともに認知症。仕事を持ちながら私一人での在宅介護はやはり大変だった。
机上の空論という言葉がある。
たとえ、介護のいろはを学んだとしても実践に移さねば、ほんとのことはわからないし、ケースバイケース。マニュアル通りに行ったらそんな楽なことはない。
よく、保護者の方からも相談と言うか愚痴を聞いた。
お姑さんを施設にやりたいのだが、ご主人やご主人の身内が反対すると。
お姑さんは認知症。脳こうそく。車いす。気性が荒い。うちの母とそっくり。私は実の母。
いらいらすれば、正直暴言を吐ける。しかし、ご主人の親となると、それもできない。
お風呂に入れるときも重労働で腱鞘炎になったと聞いた。お舅さんは他界しているが、今のご主人の年齢で亡くなられたので、息子なのに夫と勘違いして、浮気をした。愛する夫を奪ったとその保護者の方を殴るという。
身につまされた。
私も母から日傘で殴られ、父もハンマーを振り上げたこともしばしば。
結局施設に入れられた。
私も最終的にはそうした。生徒にも暴力をふるいそうになったから。
それまでの一連の経緯を私は殆ど誰にも相談せず、自分一人で決めた。実の妹は実は介護の仕事に就いている。だけど、あまりうちには来てくれなかった。
一か月に一回でもいいから、せめて、電話をかけて両親を喜ばせてくれと再三再四頼んでもかけてくれなかった。孫たちも最初は頻繁に遊びに来ていたが両親の認知症が進むにつれ足が遠くなったし、来たとしてもぞんざいな口の利き方しかしなかった。
私と街に出かけ服を買ってもらったり食事をごちそうになった後も家には寄ってくれなかった。心待ちにしていた両親に学校の勉強が忙しいいから帰ったよ。でも、お土産預かってきたよと私が何かしら両親の好物を買って渡していた。
泣けて泣けてしょうがなかった。
両親はものすごく貧乏をしていて、私や妹が子供の頃人並みのことがしてやれなかったことをとても悔いていて、孫たちのためにぜいたくすぎるほどのことをしてあげていた。

それなのに……

だんだん疎遠になった。
そして、父が亡くなった。父方の親戚にお前の妹家族は身内ではなく、他人が死んだような顔をしている、俺たちに挨拶もないとも言われた。けれど、お通夜・お葬式・初七日・四十九日・初盆と進んでいくうちに否が応でも妹家族とは会う回数が増えてきた。
妹は父が生きている間あまりお見舞いに来なかったが命日には毎月来るようになった。
毎月来れるなら、なら、なんで、生きているときにもっと来なかったのかとも、思ったが、ちょうど、私と疎遠になっていたころ、自分たちにもいろいろな問題が起こり、心の余裕がなかったらしかった。
もしかしたら、妹も私に相談したいことがあったかもしれない。母に対してぞんざいな態度をとっていた姪たちも、最近はよく母の施設を訪ねるようになった。
まるで、昔のことなどなかったかのように。
正直、私はやりきれないものを感じていたが、友人たちが、それは、もういいんじゃないの?今こうやってお母さんにも会いに行ってくれているのだから、水に流したらと言った。
私も、過去のことを今更持ち出してせっかく今の良好な関係が崩れてもと思いしいて言ううこともないまま、5年が過ぎた。

私は父の死をきっかけに、またもとに戻ったので、きっと父がみんなで仲良くしなさいと天国から見守ってくれているのだろうと思うことにした。きちんとみんながうまくいくように導いてくれているのだろう。
また、今年になり、母が何度か熱を出したが大事には至らなかった。これも、父のおかげかもしれない。

最近姪が、ばあちゃんとこに行く、長寿の色である紫のだるまさんを持って行くと言って訪ねてきた。
母の施設に行く前に昼食を近くのファミリーレストランでとった。その時、それまで、普通に他愛ない話をしていたのに、姪が、今だから言ううけどさ、仲が悪い時期があったやろ? だけん、また、元に戻れてうれしい。やばい、涙出てきた。
ばあちゃんたちが認知症になって、どう接したらいいかわからなくて冷たい態度をとってしまったことをとても後悔している。
今更過去は戻らんけん、今からでもばあちゃん大切にしたいと。
きっと父も喜んでいるだろう。
母は残念ながら私以外はわからない。孫を見ても孫とはわからない。だけど、それでもいいんだろうと思う。決して険しい顔はしていない。穏やかな表情をしている。
過ぎ去った過去の苦い思い出はもう忘れてしまおう。
孫からもらったかわいいだるまさんを見て目を細めている母を見てそう思った。

プロゼミ 小川

人は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬ。

 

人は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬ。
これは、母がよく口にしていた言葉です。
私も最近つくづく思います。
母の施設には100歳の人も多くいます。95歳で、足腰がしっかりしていて、今でも颯爽と歩かれる方もいます。
そうかと、思えば、母より、ずっと若い人が寝たきりの場合もあります。胃ろうをしていて、普通の食事ができない人もいました。この方は気の毒でした。楽しいおやつの時間も何も口にすることができないから。
寝たきりの人も勿論かわいそうです。
けれど、あら?  いつのまにか胃ろうの人が普通の食事に変わっている。
寝たきりの人が車いすになっている!!
スタッフさん曰く正直お年寄りには将来がないと思われるかもしれませんが、こういう奇跡もあるのです。だから、決してあきらめたらいけないんですよと。
ほんとうに母の言ったとおりです。

けれど….
普通の椅子に座っていらした方が車いす、そしてリクライニングの車いすに変わり、点滴の管が痛々しく細い腕に…
この方を見ていたら自然に涙があふれてきました。
もう、まさに骨と皮。
血管、動脈も静脈も透き通って見えて息も絶え絶えです。奇跡は、もう起こらないかも。

この施設は私の友人から紹介されました。義理のお父さんがいらしたのですが、亡くなられました。義理のお母さんはご存命ながら、今病院の施設におられ、私の母がいる施設への入居を希望しておられます。

まだ、空いてないやろう?と友人。 つらいですね。 誰かがもちろん転居も可能性ありますが、亡くなるのを待つしかありません。

脳死判定の時も自分の身内が脳死状態なら、決して脳死を認めたくないし、反対に自分の身内が脳死患者からの臓器提供を望んでいたら、、、。
立場立場で考え方も違ってきます。

今、私が出来ることやるべきことはありふれた日常の一環として淡々と母の施設通いを続け、そこで、目にする知り合いになった方々の死も受け入れ悼み、そしてまた、新しい明日を過ごすだけ。
母との穏やかな日常が長く続くことを祈るだけ。

20170404春になったので少し華やかな服を買ってあげた。
外面の良い母は、私には仏頂面だけど、スタッフさんには、にこにこ。
でも、つまり、まだ、母は私を娘と認識しているってことね!!

おたふく風邪?

 

新年早々、母がお世話になっている施設から電話。

元日の昼過ぎから高熱、そして、左ほほから耳下腺にかけての腫れ。

おたふく風邪なのか、それとも、ばい菌が入ったのかは不明ですが、三が日を挟むので血液検査の結果が出るのも遅くなるので、デイサービスや、他の方との接触が出来ません、個室で隔離させていただいておりますと。

90近くなった母、よもや、おたふくかぜとは考えにくい。看護師の姪、いとこの小児科医に母の画像を送っても、腫れが耳の周りではなく片方の顔面全体なので、おたふくかぜでは、ないと、思うとの見解。

でも、では、いったい、どこから、ばい菌入ったのかな?ばい菌が体中に回ったらどうしようと却って不安になる。認知症の人は、よほどのことがない限り、体がだるいとか、痛いとかは感じにくくなっています。けれど、さすが初日見に行った時は声も小さくすぐ睡魔に襲われるらしく、話しかけてもうつらうつらしていました。

けれど、気をもんでも仕方ない。翌日も様子を見に出かけました。

すると、息が荒い。苦しそう。「大丈夫?」の問いかけに「大丈夫……」と答えるのも苦しそう(泣)慌ててナースコールを押す。「あの、息が荒いんですけど!!」

すると、部屋に来た看護師さん、「酸素も97%あるし……ああ」と納得したように「鼻くそが詰まってますね」(笑)

いや、笑い事じゃないですよね?(再び(笑))

でっかいのが詰まっていたから、呼吸を邪魔しているわけで、窒息死するかもしれませんよね? てなわけで、テイッシュをこより状にして、鼻の穴に突っ込んで。

出てきました!でっかいのが!!  

良かった。 そのあとは、すうすうと、とても鼻の通りもよくなり、一件落着。

けれど、検査の結果が出るのは、成人の日の連休もあり、結局10日以上かかりました。

入院しているわけではないけれど、同じような状態。よく、入院したら、認知症が進むと言います。母は、人と接するのが大好きなので、ずっと天井や窓の外を見る毎日は、とてもつらそうでした。

看護師をしている姪が、もしもの時はどうするかを考えていた方がいいよと言ってきました。延命治療をするか否か。自宅で介護に切り替えるか病院に移すか等々。

父の入院の時も一番にそのことを聞かれました。

姪は急性期の患者さんを診る病院、つまり、救急病院に勤務しています。最初の所属は集中治療室。ですから、間近で何度も人の生死の境を見てきたわけです。ですから、最もな提案です。私は、もし、母が余命いくばくもないとわかったら、自宅近くの病院に入院させようかなとは、思いました。それこそ、もしもの時は今の施設は遠いので、間に合わないと思ったのです。

けれど、結局おたふくかぜではないことがわかり、かつ、ばい菌による、高熱・腫れだったとしても、抗生物質のおかげで、体調が戻り、10日ぶりにお風呂に入り、デイサービスに行ったら、母が号泣したという話を聞き、やはり、何かの発作や梗塞で救急病院に搬送されるような必然的な理由以外は、施設に置いておく方が母のためにはいいのだと考えを変えました。一人ベッドに横たわっていた時は、やはり寂しかったのでしょう。けれど、その、心の中を上手に言葉や態度として表現できないもどかしさ、ジレンマがきっとあったのでしょう。デイサービスに戻った後の母は満面の笑み。

その後、数日して行われた新年会の母もとても楽しそうでした。

毎回思うのは、どちらサイドで考えているのかということです。

私自身の都合で母の居場所を決めるのか、母自身の意思で決めるのか。

今回のことでも認知症の人にもまだまだ、ちゃんと感情が残っていることがわかります。

これから先も最後の最後まで自問自答し続けると思います。

私自身も今年は気づいてみれば、な、な、なんと63歳になります。一人暮らしだけれど、飼い猫のドナちゃんがいます。最近私の年齢前後の芸能人やスポーツ選手が脳こうそくをおこすニュースを見聞きします。

生徒にも、母にも迷惑をかけますが、私が突然倒れて一番困るのはドナちゃん!!

食事を与えてくれる人が急にいなくなるわけだから。

自分の身にもしも何かあったらという不安も以前にも増して大きくなってきました。

あまりストレスをためないようにしなくては!!

そして、良い食事・睡眠を心掛けなければと、年の始めに思う私でありました。

図2図3図4

介護認定

 

kis0132-012母の介護認定が最高の5になりました。
介護保険に詳しくない人は大きな勘違いをしています。
費用が安くなると思っているのです。そうでは、ありません。受けられるサービスは増えますが、その分お金もかかるのです。同じ施設に入居していても介護1の人とならもしかしたら、2万円ほど開きがあるかもしれません。母は4でも目いっぱいサービスを受けていたので、これ以上増えることはありません。ですから、1単位におけるサービス料が純粋に値上がり。な、な、なんと、5000円もアップしてしまいました。

母が以前いた特養があまりにもひどく、費用は2倍になりましたが今の施設に移して3年。
母の施設に面会に週2回行くと交通費だけで、1か月6000円近くかかります。
その交通費をねん出するために、カーブス体操という健康のために始めた教室を退会しました。そのあと、20代くらいからずっと腰痛もちでしたが、あまりにも痛みが強くなったので整形外科を受診。MRIをとるように言われました。正直MRIもとりたくありませんでした。これまた、6000円ほどかかるからです。けれど、還暦も過ぎている私です、いつのまにか骨折もあるかもしれないし、受けることにしました。
すると、ヘルニアになっていました。実は、腰だけではなく、左足の鼠径部も痛い。また、左足そのものには感覚がなかったのもヘルニアから来るものだとわかりました。カーブス体操をやめたからではなく、長年この痛みに耐え、ようやくMRIをとるに至ったわけで。たぶん20年以上前にとっても同じ結果だったと思います。
ここまで、痛みが進行していたら一年くらい服薬が必要ですと言われ、まず、漢方と併用して1週間薬を飲んでみてくださいと言われました。
その1週間分の費用は2000円でした。1か月なら8000円ですよ。
カーブスをやめ、交通費ねん出したのに8000円?冗談じゃない。そんなお金出せません。そこで、念じました。痛くない、痛くないと。
そしたら、脳がだまされたんでしょうかね?これが、痛くなくなったんです。
その薬は副作用もあると言われていましたから1週間も飲みませんでした。
その後、朝は、多少痛みがあったり、突発的に激痛が走ることもたまにはありますが、持ちこたえています。私は、吐き気や倦怠感は無理だけれど、痛みは案外我慢できます。
飼い猫の愛しのドナちゃんに足首噛まれ化膿して腫れた時も足ひきずって母の施設に行ったものでした。
ああ、それなのに、なにゆえ、5なんだ?これまでの、私の努力をどうしてくれる?

実は、介護認定に納得がいかなかったら、不服申し立てができます。私は、即区役所に行きました。そして、認定員の人がとても冷たくて感じが悪かったこと。だから、母が貝のように口を閉ざして、きちんと受答えが出来なかったことなどを話しました。
すると、3年前のデータを持ってこられて、色々な項目でポイントが高いところに母の場合チェックがついているというのです。
どういうことかというと、以前は施設を施設と認識していたが、今は、家だという。
3年の月日もありますが、以前の施設は本当にひどく母以外の利用者さんも入居当初は、はつらつとしていましたが、日を追うごとに生きるしかばね状態になり、ほんとうに見ていられませんでした。ですから、家と思うはずもなかっただろうと思います。
けれど、今の施設は本当にアットホームな雰囲気なので、母が家と言いたい気持ちもわかるのです。そして、身体的なもの。脳こうそくを患い車いすの生活を余儀なくされているので、どうしても四肢の拘縮がひどくなっているとのこと。
また、食事8割は自分で食べるが残り2割は介助。また、うがいの際も自分でコップをもたなくなった等々。
つまり、認定員の紋切り型の詰問にも似た問いかけに母が答えられなかった部分は、判定にそれほど影響していなかったのです。
悔しいけれど、納得せざるを得ませんでした。

もし、週2の面会を1回にしたら随分楽になります。けれど、知り合いの方に「あんたのことが娘とわかるうちは言ってやりなさい」と言われました。そうだなと私も思い直しました。妹が行っても自分の娘とはわかりません。妹に私を指さして、「あれが、私の娘です」というくらいです。
けれど、昨日は、妹も私もわからずびっくり。演技などではありませんが、私が週1回にしやすいように自然に私をわからなくなったのかしら?と、思ってしまいました。
でも、やはり、本当にわからなくなっても私は週2回行き続けると思います。
なぜなら、母だけではなく、ほかの利用者さんも案外私が来るのを楽しみにしてくれているのです。
そして、介護スタッフさんも。
私の職業柄お子さんのお勉強相談が多いのです。
「通知表悪かった」「何にも勉強しない」「この点数なら公立無理ですかね」等々。

来年もそういうわけで、わたくし、すたこらさっさとお出かけしなければなりません(^^♪

プロゼミ 小川 文子

最近の母

 

161021二年ぶりに母の姉とご対面
にこやかな笑顔を浮かべているが、残念ながら実の姉のことは覚えていなかった。
二年前は涙のご対面だったのだけど。
お姉さんの方は私の母が実の妹とは認識していたものの、二年前母の施設で会ったことは、すっかり忘れていて、何度も母が営んでいたタバコ屋のことを聞いてきた。
帰りしな母に「あの人は誰だった?」と聞いてみたが、
それが、誰か全然わからんかった」と困った顔をした。
最近は私の妹、つまり末娘のこともわからないようだ。母がその相手を身内と認識しているかどうかは、話し方でわかる。身内以外の人、例えばスタッフさんとかには敬語を使う。
実の姉にも私の妹にもそういうわけで、敬語を使う。
考えようによっては、社会性は残っていると言えるかもしれない。きちんと、敬語を使い分けているのだから。
先日は妹に私を指さして「あれが、私の娘です」と説明していた。「私もあなたの娘よ」と妹が言うと、困った顔をしていた。
この話を卒業生のお父さんで、私が通う鍼灸院の先生でもある方に話すと、「私のところもそうです。私を私の兄と勘違いして話しますから、カチンときます」と笑いを交えながら話された。
そちらは、実は次男であるそのお父さんが親御さんのめんどうをみていらっしゃるので、何も介護に参加しないお兄さんと間違えられて腹がたってしょうがないのだ。
もし、正直私も母が私を認識しなくなったら、ちょっとがっかりするかもしれない。
家にいるときは下の世話をして、時には暴言暴力に耐え、生徒たちへの危害を与えかねない母に恐れをなして、「殺される」と逃げ帰った生徒たちがこれをきっかけにやめはしないかと、はらはらしながら生活してきた。 そして、そのあとも入院や施設を転々とするたびに色々問題が起き、まあ、大変と言えば大変だった。
辛くはなかった。悲しいという思いもなかった。ただ、体力的には、少しは疲れたかもしれない。
今は、母が施設に入っているので、体力的には随分楽になった。
でも、やはり、塾が忙しくてなかなか施設に行けなかったりしたら、気になってしまう。
また、施設に行っても、あまり元気がない様子だとやはり気がかりである。
今年母は87歳の誕生日を迎える。
そろそろ、父の年を追い越す。人生は一度きりで、親稼業も子供稼業も一度きり。
父を亡くして、あの時こうしてあげればよかった、もっと環境のいい施設で余生を送って欲しかったと、あとからあとから後悔の念が生まれてくる。一度きりでやり直しがきかないものだから、致し方ないけれど、それでも、もう少しどうにかしてやれなかっただろうかという思いが湧いてきてしまう。
母には少しでも父より長生きして欲しい。
そして、また、母の姉と会わせてあげたい。母の姉も早くにご主人を亡くしずっと孤独な生活を送っていた。今の施設に移って、とても穏やかな笑顔になった。お友達もできたと嬉しそうに話してくれた。
瞬間瞬間で、すぐに記憶が飛んだとしても、その一瞬に相通じるものが芽生えればそれだけでいい。
それが、私たちにしてあげられる親孝行なのだと思う。

 プロゼミ 小川

人を思うということ

 

1607221母を今の施設に移して2年が経とうとしています。
訪ねると、相変わらずいい笑顔。
他の利用者さんも勿論穏やかに過ごしていらっしゃいますが、顔ぶれは、随分違ってきました。
ご高齢の方も入居なさっていたので、何人かお亡くなりになってしまわれ、そして、そのあと、新しい利用者さんが入居してこられるので、自然と顔ぶれが変わります。
予感はあります。ご自分で歩いていらした方が、車いすになり、そして、ついには寝たきりになる。 そして、以前にも増して足しげく身内の方が面会に来られる。
ああ、長くないんだなあと身につまされます。

けれど、いつも元気な方の姿が突然見えなくなることがあり、そういう時は覚悟が出来ていないので、かえって不安になります。
そういう場合はだいたい入院です。
転倒骨折・肺炎・心筋梗塞・脳こうそく等々。
母が、よく、人は病気では死なない。寿命で死ぬんだと、言っていましたが、その通りだと思います。100歳近い方でも見事に復活、退院されたし、骨折で入院長引いたら、ぼけちゃうんじゃないかしら?と、思ったおばあさんも最近退院され、相変わらずかくしゃくとなさっています。
また、胃ろうのため食事を口から摂れなかった方が、最近では通常通りにおいしそうに食事を召し上がっている。

母の施設に行くたびに色々なことを考えさせられます。
字幕付きのカラオケが流れれば、その字を追って母も歌う。認知症で、字は書けなくなっているけれども、読む力は残っている。ある人は、「若か時の美空ひばりやね?」と、カラオケの画像に映る歌手たちのエピソードを語りだす。本当に和やかないい時間が流れています。大げさに言えば、まさに悠久の流れ。
幸せっていったい何だろう?母たちを見ていると、母たちこそ、世界中で一番幸せな時間を過ごしているのではなかろうかと、思います。

それと、私自身は母の施設に行くとき、このように、母だけのことではなく、他の方たちのことも気になり、なるべく週2回は行くようにしているのですが、友人たちは、そんなに行かなくていいよ、何かあったら連絡してくれる。身の回りの世話も全てしてくれているのだからと、言います。その辺のところが、私には、ちょっとわかりません。
私は、みんなが集まっている大広間に入ると、母のそばに当たり前ですが座ります。
そのあとは、周囲をゆっくり、見回して、あら?いつもの人がいないなとか、アッ、あの人、以前は点滴していたけれど、点滴の管外れている、よかった!とか、やばい!あの人テイッシュペーパー食べているとか、くまなく観察します。
母だけでなく、みんなが心配になるのです。

1607222幼稚園の先生もしていたことがあり、他の人に目を配ることがいつの間にか習慣になっているのかもしれません。幼稚園時代、間違いなく風疹になっている園児が通園してきました。お母さまは気づかれなかったのでしょうか?と、驚いたこともありました。我が子のことですら、しっかり見ていないのかと。
私は、自分のことを自慢しているのではありません。
あまりにも、最近自分中心に物事を考えている人が大人も子供も多くなっている気がするのです。
TVの政府広報のCMでも、人の立場になってみようというような内容が目立ちます。
もし、通りすがりに、自転車から、転げ落ちて、小さい女の子がしゃがみこんで泣いているのを目撃したら、「どうする?」と、子供に聞くと、大丈夫?と声をかけるという答えは非常に少ない。
めんどくさい、ママが知らない人に声掛けたら、ダメと言った、あるいは、転ぶ方が悪いとか、唖然とする答えが返ってきます。

母の施設のお年寄りは違いますよ。人としての心は、認知症になっていても、たくさんたくさん年をとっていても、ちゃあんと残っています。
「ほら、また、転ぶよ。ゆっくり歩かんと。」と骨折して退院してきた人に注意を促したり、自分も介護される立場なのに隣の方の食事介助もされる方もいる。この方は御年99歳。慈愛に満ちたお顔をされています。

あまりにも、今の時代が恵まれすぎているからでしょうか?苦労せずともある程度のものは何でも手に入る時代だからでしょうか?
謙虚さも、目上の人を敬う気もちも、弱者に対する思いやりの心もどんどん薄れていっているような気がして、とても怖いです。
ですから、私は縁あってプロゼミに来てくれた生徒には勉強よりも大切なことがあることを、常々言うようにしています。たとえ、煙たがられていてもね(笑)

プロゼミ 小川

ぼけてよかった?

 

母が今の施設にお世話になって、二年ほどの時が流れました。
最近は、昼間ベッドに横になる日が多くなりました。と、言っても体調を崩しているわけではありません。
聞くところによると、母は日中はなかなか排尿排便をしないらしい。
そして、夜間、おむつをしていても染み出すくらいの大量の尿をするそうです。
と、なると、本人も介護者も大変。そこで、日中も夜と同じ雰囲気を作るために昼食後の何時間か横になってもらうことにしたとか。
そのことにより心も体もリラックスするのか、昼間も排尿・排便起こるようになり、おむつの量も少なくなり、また、安眠も得られるようになったとか。

実は、介護に関しては以前はベッドに手を縛りつけたり、つなぎ服を着せたりすることが容認されていました。けれど、最近は拘束するということは人権に対する配慮がないということで、病院では命の危険もあるので、ある程度認められていますが介護施設では法律違反になるので、禁じられています。
母が入院した時はおむついじりがひどい為、私の了承を得てつなぎ服を着ていました。
次の施設では、拘束はできないので、大判のバスタオルを体に巻きつけて防いでいました。
そして、今度の施設。
ここでも、おむついじりは半端ないのですが、どうしても拘束はしたくないという施設の方針で何も対策はされませんでした。
けれど、母の部屋の窓のカーテンはいつもかかっていません。おむついじりをした後の汚れた手をカーテンになすりつけるので外してしまわれていたのです。
爪の中もどうしても汚れてしまいとても不潔になります。
そこで、ミトンをすることにしました。これも、拘束の一つです。手の自由が利かなくなるから。
けれど、致し方ない場合はOKです。
                  
ミトンミトンをすることにより、おむついじりは、なくなりました。けれど、真っ白なミトンがいつの間にか縁が真っ赤に染まっています。 血? けれど、スタッフの方からは何の連絡もありません。
気になり聞いてみました。すると、母が寝付くとき指しゃぶりならぬミトンしゃぶりをしているとのこと。その際睡眠導入剤の薬を飲んだ後口中にうっすらと残った薬の色がついているのだろうと。それからは、私も頻繁に持ち帰り洗濯をしたので、色素の付着はなくなりましたが、そんなに母はミトンしゃぶりをしているのかしら?と半信半疑。
ここで、話が振出しに戻りますが、夜間と同じ状態と言うことは、当然昼間もミトンは必須。
私も母のミトンしゃぶりを目撃することになりました。
娘が、母親がちゅぱちゅぱミトンを懸命に吸っている姿を見るのは異様な感じがしますよね?
娘の前でおしゃぶりを見られたら普通恥ずかしいのでしょうが、母は気にも留めずちゅぱちゅぱ、ちゅぱちゅぱ。
その時私、つくづく、ああ、おかあさん、ぼけてよかったね!!と思いました。
それこそ、子供みたいな表情でものすごくリラックスして横になっている母。
自宅にいてまだ元気な時に昼間横になっている母を一度も見たことはありません。
結婚した当初からずっと貧しかったので両親とも働きづめ、そして、年がら年中ずっとお金の心配をしていました。当座にお金は入ってるかな、消費税のお金は払えるかなと、認知症を発病した当初も口癖のように言っていました。

今はそんな心配もなく、穏やかに過ごしている。我が子の前でもおしゃぶりをやめない。
身も心もストレスから解放され、まさに無我の境地にまで行きついているかのよう。
このまま、穏やかに余生を過ごしてほしいと祈るばかりです。

無題どじょうすくいのイベント!
似合ってる!!

認知症事故家族免責

 

160320私は学習塾を経営しています。今年度から偏差値60以上の高校に全員合格を目指すべく一斉授業もとりいれます!!と強い決意もブログTOPに書いています。
しかしながら、塾の記事かと思いきや、介護のことなど書いてあると違和感を持つ人も多いでしょう。
けれど、このことに関しては、このブログを立ち上げる時も説明したと思いますが、私も仕事を抱えながらたった一人で認知症の両親を在宅介護した経験があります。とても大変だったのは間違いありません。そして、高校の先生方が塾訪問された時もお互いの介護の話、あるいは、メールでもその話。保護者とも生徒さんの話をしていても、いつの間にか介護の話。塾を卒業した後も、頻繁に認知症のお母さまのことで電話をかけてこられる方もいます。
ここで、不思議なことに気づかれませんか?なぜ、私に相談するの?私は身内ではない。赤の他人。それなのにどうしてかわかりますか?
それは、当事者でしか、介護の大変さを理解することが出来ないからです。たった数時間でさえ介護経験もない身内より、本当に経験した人に相談したり、愚痴を言った方が心が晴れるからです。
正直私が介護している時は周りに相談できるような人はいませんでした。ネットに色々書いてありますが、私に言わせてみれば机上の空論です。実際生の声でないと響きません。ですからネットでも私は介護のプロみたいな人のブログやホームページは開きませんでした。経験者でもなく、ただ教科書通り、マニュアル通りにアドバイスされても、こちらは生身の人間と常に対峙しているのです。マニュアル通りに行くわけないことはわかりきったことです。ですから、私は私の経験を書くことにより、少しでも今介護で悩んでいらっしゃる人の参考にしてもらえばと介護のことも書くようにしています。

今回の列車事故は2007年に起こったものです。認知症の患者が徘徊中に電車にはねられ死亡し、その賠償責任を鉄道会社が遺族側に請求し、一審・二審は遺族側に支払いを命じました。私はこのことにとても憤りを感じました。言葉は悪いですが、「お前らには認知症の家族はいないのか!!もしいたら徘徊する認知症患者を24時間見守ることがどれだけ、不可能かわかるはずだ!一回お前もやってみろ!」と言いたくなりました。

私の例を言いますと、私は塾をしていますから、夜両親のそばにはいることができません。塾をやめれば生活できませんし、私を頼ってきてくれている生徒の指導をないがしろにはできません。幸い自宅の下の部屋が塾でしたので、父が徘徊しそうになると、玄関のカギを開ける音がしますから、生徒を指導しながらも耳を澄ませておき、いつでも止める準備はしていました。また、私の入浴中に出ていく場合もありますから、湯船につかっていても耳は玄関に集中させておきます。開けている!!そう思ったら、バスタオルを大急ぎで巻いて玄関に向かいます。もし、母親がしっかりしていたらいいのですが、母親も認知症です。あてにできません。それどころか、父を探しに行く間、母が火の不始末をするかもしれないという恐れもあります。何度もガスコンロを空だきして、よもやということがありましたから。
また、火事場の馬鹿力と同じ感じで、普段は足元もおぼつかないのに、徘徊するときの父は機敏で力もあります。私の家の前には線路があります。もし、そちらに行ったらと気が気ではありませんでした。昼夜逆転でしたので、父は昼間寝て夜活動します。本当に父が入院する前は睡眠をとるのもままならない状態でした。この事故の方の奥さんは当時、既に80歳を超えておられました。うたた寝をされる気持ちもわかります。きっと、くたくただったと思います。父もそうでしたが、外に出ていくときは、案外正気と言いましょうか、知恵が働きます。周りに誰もいないときに出て行こうとします。この方も、しめしめ、今のうちと思ったのではないでしょうか?結果自分が亡くなることなどは想像はつかないのに、です。悲しいですね。
また、私の場合、母も感情が高ぶったときは、線路に飛び込んで死んでやる!!と言いますから、本当にWで大変でした。その時は目が座り本当にやりかねない状態なので、見張らないといけません。ですから、母が落ち着くまでは、片時も目が離せないのでトイレにもいけません。このような、極限状態でみんな介護しているのです。トイレにもいかず、仕事もせず24時間見守るなんて、どれだけ不可能か経験者にしかわかりません。

ですから、今回の事故は他人事ではありませんでした。よほど、私も証人席に座り、検察官や裁判長に訴えてやろうかと思ったほどでした。最高裁の裁判長は年配の女性でした。思うに、その方の家族にも認知症の方がいらっしゃったのかもしれませんね。ですからこのように当たり前の判決が出たのだと私は思います。
一億総活躍と言いながら、なるべく介護は在宅でと、政府は矛盾だらけです。
今は昔でいう隣組、いわゆるコミュニティーが、とても希薄になっています。私も隣のマンションに誰が住んでいるかなど知りません。
長寿大国になり、暮らしやすくなるどころか、このような事件が今からも増えていくのではないかと案じられます。
何とかならないものかと歯がゆい気持ちでいっぱいですが、とにもかくにも、今回の判決で司法もまだ健全だということがわかり、少しほっと致しました。

プロゼミ 小川