2024年の辛い幕開け それでも春は訪れる

塾のこと

21世紀になった時、20世紀は戦いの世紀だった。
21世紀こそ平和な100年にと世界中が願っていました。
にもかかわらず、第三次世界大戦も真実味を帯びようとしています。いったい、世界はどこに向かっていくのでしょう。
そんな中、日本も元日から大地震に見舞われ、2日には、被災地に向かう自衛隊機と日航機が衝突炎上。死者も出ました。芸能界でも政界でも次から次に不祥事が暴かれ、本当にこの先どうなることかと、暗い気持ちになってしまいます。

中学校に目を向けると、これまたひどい有様です。どうしても、コロナが影響していることは否めないでしょう。みんなの心がすさんでいます。中1は授業にならないクラスばかりとか。
今年になり、ストレスで、あるクラスの担任が休んでいるとか。いつも、思うのですが、教師を志す人は、それなりの学力を、当然ですが、身に着けているし、きっと真面目な学生時代を送っていると思います。ですから、自分以外の人間、ここでは、中学時代の自分と生徒も同じだろうと、勘違いするんでしょうね。 (そういえば、ある小学校でも始業式当日に辞めた先生もいたと聞きました。)
ところがどっこい、そうは、いきません。
きちんとした人間教育は本来なら、家庭が行うべきです。けれど、共稼ぎが多い今、いったいどれだけの家庭が一家だんらんの時を持てるでしょうか?
結局やはり学校が勉強だけではなく、人として当たり前のことも教えないことには、身勝手な子供、人に対する思いやりが持てない子供が増えてしまいます。この、当たり前の中に、人としての知識や教養、勿論、その年代に合わせてですが、そのことも加えるとしたら、それすらも知らない生徒が増えていることに驚かされました。
英単語を日本語に直すときにJapaneseを「国語」と一人の生徒が言いました。私は開いた口が塞がりませんでした。
国語とは、母国語、外国語ではなく、その国で話されている言葉を指すのであり、Japaneseは、まあ、日本で話されているから国語ではありますが、訳は日本語です。
「じゃあ、英語は、アメリカなら、なんて言うと?」と、また、別の生徒。どこでも、英語はEnglish。でも、私たちが習っている国語の授業として、考えるなら、英語はアメリカでは国語の授業やねと、言うと、「はあ~! 知らんやった」と全員。
確か20年ほど前からでしょうか?
中3の社会で日本の伝統行事を学ぶようになりました。ここで、また、驚きの連発でしたが、節分もひな祭りも七五三のお祝いも知らない生徒だらけでした。今でもずっとそうです。知っている生徒の方が少ないです。「お雑煮」も知りません。「象って食べられると?」と聞いてきた生徒もいます。その生徒の母親曰く「私お雑煮嫌いなので、食べさせていません」!
また、ある生徒は小児科の読み方を「こじか」と書きました。「うちは、クリニックにいかせているからね」と親御さん。わかるんですよ。今の世の中、お正月を重視しない。凧あげや羽根つきなんて、そんな光景有りません。TVニュースに映し出されるのは、外国に行くための成田空港カウンターの長い映像が、お正月の風物詩にとってかわっています。
病院も例えば、耳鼻咽喉科なんていう看板ないですよね。「耳・鼻・喉のクリニック」しかも、耳も鼻も喉もひらがなです。でも、やはり、そこで少し親子で会話して欲しいんですね。こどものいく病院は小児科だとか、もう、高校生になったから内科だねとか。「外科」を「そとか」も多いですね。核家族でなければ、いわゆるおばあちゃんの知恵みたいなものを自然に学べるのでしょうが、とにかく、親子ともにゆとりがない毎日がますます増加しているので、一緒に食卓を囲むことも稀になる。
だからこそ、学校や塾で色々な知識を子供たちに教えていかないといけない。家庭だけに望むのは、今の時代、酷なことかもしれません。
昨年中学に入学してきた生徒は3年間のコロナ生活で、そういう、人間教育をしっかり学んでおらず、そして、知っておくべき最低限の知識を身につけないまま、小学校とはまるで違う中学校の世界に飛び込むことになったので、ある意味、「人」になる準備が出来ていなかったのでしょうね。
そのストレスで休んでいる先生は女性で、生徒の前で何度も涙を見せるそうです。悲しい、辛い、その感情を抑えられないのでしょうね。でも、泣いたら、尚更、なめられます。私が、こいつらを叩き直してやる!くらいの強い気持ちを持たねばいけないでしょうが、これまた、体罰、パワハラと訴えられるかもしれないし、まさに、八方ふさがりの状況で、とうとうダウンしたのかもしれませんね。
昭和は良かったが、今はだめとよくいいますが、いちいちあげ足とられたら、もうやっていけないですよね?
生徒の方は、ずる賢くなっていき、被害者面をして、親に訴える。
『先生から殴られた』と。
昔は、入塾の際、保護者が「悪いことしたら、殴るなりけるなり、思う存分やってください」と当たり前の顔をして仰いました。勿論私は、そういうことはしませんが、学校の先生方が、あまりにも態度の悪い生徒を、そして、注意をしても聞かない生徒に対して、怒りを爆発する気持ちは、よくわかります。
親は、「あなたが良くなかったんじゃないの?」とも聞かずに訴訟を起こし慰謝料を要求する。
体罰を肯定しているのではありませんが、なぜ、教師が体罰に及んだかどうかまでは、しっかり考える必要はあると思います。
昔は、昔はと連発するのも今では、ハラスメントになるらしいですが、SNSも発達していなかったので、却って、保護者とも密に連絡を取っていた気がします。 固定電話で!
今は、固定電話のない家庭が多くなり、生徒が時間になっても塾に来ない場合連絡のすべもありません。本人の携帯も繋がらないし、親御さんも外出していたら、連絡できないのです。

例えば、学校への欠席届。
現在って、携帯の欠席届のメール欄をポチッと押して、適当な理由を書いて保護者名を記入し、送信するだけでOKだそうです。共稼ぎの多い昨今。親が出勤した後に勝手に欠席届を出せるとか。
学校もほんとにおかしくなってしまいました。嘆かわしい限りです。そのまま受理するそうです。
ですから、中3の三学期、あるクラスの出席人数が9人の時もあったそうです。学校に行くより、自宅で受験勉強した方がいいですからね。
もし、インフルエンザやコロナを理由にすれば、診断書も必要になりますから、単に体調がすぐれないという理由にするらしいです。ですから、学級閉鎖にもならず、かつ、コロナ以降リモートでの参加も認められているので、普通に淡々と授業は進められるとのことです。
そういうことばかり、つまり、悪知恵ばかり学んで、それがいつまでもまかり通るとでも思っているんでしょうか?
本来なら「人」になるべき第一歩は家庭なのですが、その家庭も崩壊しつつありますね。
可愛くないという理由で我が子を毒殺したニュースも最近。
そして、これも家庭環境が悪かったのか? 中学生が、美人局的なことをして、大学生を強請り、結果大学生は、逃げる途中でビルから転落死。
これもSNSで知り合ったとか。 SNS上なら、きちんと?したご家庭でも我が子がいったい、今何をしているか、何を考えているかも、気が付かなかったかもしれませんね。
本当に昭和が懐かしい。鉄筆で原稿を書き、ガリ版刷りしたあの頃に戻りたいです。
嫌なことばかり続いても、時は流れ、またいつの世も春は間違いなく訪れる。
3月末には、私の高校時代の同窓会が催されます。男子に「君」付けでも許された時代です。
もう、高齢者の、おっさん? いや、おじいちゃんに対して((笑) ○○君と呼べる幸せ。
これを、もう、今の子ども達は知らない。生徒が、○○さんがと、何か話し出すとき、私は決まって、女子?男子?と聞かねばわかりません。 学校ではアウトでしょうが、私は塾内では、今でも男子は「君」付けにします。 この、男子とか女子とかもだめらしいんですね。
あだな(ニックネーム)もNGだとか。
そりゃあ、容姿を馬鹿にしたあだ名はだめでしょうが、親しみの情を込めたあだ名ならいいんじゃないかと思いますけどね。ほんとにまあ、とにもかくにも、とにかく、生きにくい世の中になったものです。

新学期の始まる4月には、心の中にも沢山の桜の花が咲いたらいいなと、願ってやみません。

プロゼミ 小川

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