今回は、近頃、メデイアなどで言われている、本当に「あなたのためよ」という言葉は子供をだめにする言葉なのかについて、話してみたいと思います。
勉強における「あなたのためよ」の場合
私は、いつも、生徒に聞きます。
「あなたのためよと、お母さんから言われたら、自分のためではない。親の見栄のために言われていると思うでしょう?」と。
すると、殆どの生徒がそうだと頷きます。
そして、私は「確かにそれもあるかもしれないけれど、ほんとうにあなたのためなのよ」と続けます。
正直、親はそりゃあ、わが子がいい高校に入ってくれた方が嬉しいし、鼻も高いでしょう。
でも、それくらい良くないですか?人間だもの、仏様じゃないんだもの。
そして、生徒自身も大人になって出身校聞かれたとき堂々と名乗れる高校の方がよくないですか?
で、ここでいう名乗れる高校というのは決してレベルの高い高校という意味ではありません。
よく、なんのために勉強をするのかとか、因数分解が何の役に立つんだとか、偏差値の高い高校に入るのが、そんなに偉いのかとか生徒は言います。
確かに専門分野に進まないのなら学問そのものは、なんの役にも立たないかもしれない。
偏差値の高い高校に入っても罪を犯す人もいれば、まっとうな職業に就いていない人もいるかもしれない。
でも、だからと言って勉強するという事から逃げてはいけない。
何のかんの言い訳して楽な方楽な方に行こうとする人に、そういうこと言う人多いです。
天才も確かにいるけれど、やはり、人は努力は必要と思う。
高校入試においては、私は偏差値って努力のバロメーターのような気がします。この高校に行きたい。
でも、偏差値が足らない、行きたい高校に行くために勉強を頑張る。
苦手な科目から目をそらさず頑張る。
そういう気持ちってとても大事。
社会に出てつらいことに出会ったとしても15歳の時にあれだけ頑張ったのだから、今度もきっと乗り越えられるという強い思いを持てる。
だから、知識を学ぶだけではなくそういうこともしっかり学ぶための勉強だから役に立たないことはないし、「あなたが生きていく上での糧になる。つまり、勉強はあなたのためなのよ」となります。
そして、正直持って生まれたものはあります。
一度で問題を理解する生徒と何10回言っても理解できない生徒がいます。
理解できない生徒の目を見れば、本当に一生懸命考えてもわからないのか考えようとしていないのかは、わかります。後者は言語道断ですが、前者の場合は致し方ありません。
ですから、一度で理解できる人から見たら超レベルの低い高校だとしても、本人がそこに合格すべく一生懸命がんばって合格したのであれば、社会に出て、出身校聞かれても胸をはって堂々と答えられます。
「15歳の俺、よくがんばってくれたな、将来のこの俺の為に」となるのであります。
勉強以外の場面で使われる「あなたのためよ」の場合
これは、非常に難しいです。
子供の頃経験ありませんか?あの人と遊んだらダメよ、あななたのためにならないからって。
私も母親に言われすごく腹が立ったし、反発もしました。
私は今独身で子供もいません。
けれど、二七年間塾という仕事に携わらせてもらったおかげで、たくさんの子供との関わりが生まれました。
すると、昔、母親に言われてすごく嫌だったのに、生徒が不良ぽい人と遊んでいたり、塾卒業生が複数の男の人と遊び歩いているというような話を聞くと、居ても立ってもいられず、そういう人との付き合いはやめた方がいい、あなたのためよとつい言ってしまいたくなります。
これも、子供をだめにするのでしょうか?
似たような話で間違いなく、これは、私も良くないと思ったことがあります。
もう、ずいぶん昔の塾卒業生の話です。
「先生。うちの子家出しました」とお母さん。
聞けば、その生徒は、私立では、ある程度名の知れた高校に進学していたのですが、中学時代の友人と遊ぶ機会が多かったらしく、その中の友人のことで、お父さんと、もめたらしいのです。
その、友人も反対の意味で名の知れた高校に通っていました。
すると、お父さんが「そいつと付き合うな。そいつとは、きれろ!そんな男、お前の人生においてなんの利益ももたらさない。お前の為にならない。」と言われたそうです。
よほど、計算高い人間でない限り、損得で友人と付き合う人など、滅多にいないのではないでしょうか?
例えば、人間性が悪ければ別ですよ。
平気で犯罪に手を染め反省の色は全然見られない人とかね。
でも、偏差値ランクでお前の人生にその男は必要ないはダメでしょう。
お父さんはいくつかの会社を経営しておられました。
この場合は多分あなたのためよではなく、ご自分のためだったかもしれませんが、真意のほどはわかりません。
それから、しばらくして、息子さんは戻っていらしたらしいのですが、数年後、そちらのご夫婦は離婚なさいました。
さもありなんというところでしょうか?
このように、一概に「あなたのためよ」は、良くないと決めつけることは、出来ない気がします。
時と場合によりけりです。
怖いのは、メデイアなどで、ちょっとそういうことが取り上げられたら猫も杓子も右に倣え方式ですぐ、賛同してしまうことです。
「あなたのためよ」は悪くって、どうも、「褒めて育てる」keywordはもてはやされています。
これまた、果たしてそうでしょうか?と、疑問を投げかけたくなりますよね?
さっきから、社会に出た時社会に出た時と言っていますが、もし、両親ともにとても、優しく、事あるごとに何でも褒めてくれて、ついぞ叱られたこともなく、素直にのびのび成長したとします。
でも、考えてみて下さい。
この世の中みんなそういう人たちばかりですか?憎たらしい人もいますよ。
平気で暴力振るう人もいますよ。
会社でもちょっとしたミスに対しても「お前、何やってんだ!」と怒鳴り散らす人もいますよ。
だから、これも、ケースバイケースですが、いけないことはいけない、叱るべき時は叱る、塾でも「怒らないでくださいよ。私、褒められて伸びるタイプですから」とか、生徒が言うけれど、それっておかしくないですか?
そういうことって指導者側が判断することと思うのです。
ああ、この子頑張ってるから、はな○あげよっかな、ポイントつけようかなって。
これも、あまりにも、褒めて育てようが巷で蔓延して、生徒たちが自分たちに都合よく解釈していますよね。
結論!!
人の意見に惑わされず、自分なりに言葉の持つ意味をしっかり解釈して、本当に心から相手を思いやり、素晴らしい行いをした人には賛辞をおくろうであります!!