指導死

塾のこと

160412新学期が始まりました。
今年度から福岡市は夏休みが短縮され8月29日に二学期を迎えます。建前的には、エアコンも完備され、涼しい環境で学習できることが可能になったからですが、実際はそうしなければ、脱ゆとりに伴い大幅に増えた学習内容が終わらないからです。土曜日の休みも見直されていきます。

指導要領などを決めるのは、まさに机上の空論と言っても過言ではない、現場の声などは無視され、実際何もわからないTOPです。ゆとりと言いはじめ、土曜も休みになると聞いたとき、私は不良が増えると思いました。今までより三分の一になった薄い教科書。地理などは今まで日本国中の都道府県の学習をしたのに、詳しく学ぶのは3県だけになりました。算数の円周率も3.14ではなく、3で計算してよくなりました。不思議なもので3x3が9はわかっても3x3.14だと単位まで間違えます。300以上と答えたり、1より小さくなったり。3x3が9なら、たぶん9に近い数字になるだろうという発想が算数が苦手な生徒にはないのです。ですから、円周率を3なんかにしたら、まず思考力も育ちません。土曜の休みも部活などなければ時間を持て余してしまいます。共稼ぎが多いご時世ですから、休みを利用して家族で遊びに行こうなんてことはめったにありません。なるべく土曜日の部活はしないようにというお達しがあっても、反対に部活はより盛んになりました。
結局閉塞感・虚無感だけが大きくなり、当然ですが世界レベルで見ても日本の子供の学力は急降下。慌てた文部科学省が、脱ゆとり宣言。一気に学習内容を増やしました。

生徒も先生も振り回されてしまい、結局心のゆとりはなくなっていった気がします。
そして、いじめ、学級崩壊などが以前にも増してひどくなり、いじめにおいては、それが原因で自殺者まで出る始末。
そして、最近言われているのが指導死
体罰はしなくても、暴言などで生徒を追い詰め、それを指導だと言い切る教師。その教師の配慮を欠いた心無い一言で自殺をする生徒が増え、それを指導死と言うのだそうです。

最近のニュースでも、大きく取り沙汰されていましたが、とても難しい問題です。
一人の男子生徒が何回注意しても授業中騒ぐことに業を煮やした教師が、強く注意したり、思わず手がでたとしても、教師側が悪いことになってしまいます。そして、親が怒鳴り込む。昔は、オメガ悪い!!と、親も子供にげんこつの一発でもお見舞いすれば、それでお終いだったのに。
なんともはやであります。
そして、とうとう今年になって指導死などという造語までできてしまいました。
数年前、海岸の砂浜に悪さをした生徒を首だけ出して埋めてしまった教師がいました。
これは、間違いなく行き過ぎた行為と思います。
指導なのか、体罰なのか、はっきりわかる場合と線引きが難しい場合がありますよね?

私は、ある生徒に心底傷つく言い方を私がすると言われました。心にぐさっと突き刺さると。
また、ある生徒は先生は確かに体罰はせんよ。でも、言葉は暴力と変わらん。とも言われました。
すまないことをしたなと思う反面、やはり世の中は甘くない。みんながとてもいい人だったらいいでしょうが、職場には、やはり、意地悪な上司や同僚もいます。学校でもそうです。私は学生の時も
社会に出てからも、たくさんつらい経験をしました。正直死んでしまいたいと思ったこともたくさんあります。たぶん多かれ少なかれ大人はそういう経験を何回もしながら、毎日を生きているのだと思います。
私は学生時代良い教師には巡り会っていません。ですから教師に期待などしていませんでしたから、家が貧乏なことを皮肉られたり、15点や30点しかとれなかった算数のテストの点数をみんなの前で読み上げられたりしても、辛かったけれど、でも不満も抱かなかった。そういう人が傷つくことを平気で言うやつなんだ。真に受けても意味がないと、思いました。
私は、そういう次元の低い事柄を生徒には言っているつもりはありません。
良薬口に苦しと言いますよね?
ずばり、痛いところを突かれるから、耳が痛いんです。

指導死という言葉は、だから、やっぱり変です。本当に生徒のためを思っての指導なら、生徒は自殺しないと思います。
もし、指導という名のもとに、ちょっとこれはおかしい言動では?と感じたのであれば、友人や家族に相談してみてください。絶対一人で抱え込まないでください。

プロゼミ 小川

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