みなさま、あけましておめでとうございます。
気が付けば、29年目に突入。パパやママになった塾生もどんどん増えてきています。
私の塾は、○○高校何名合格などの実績を掲げてそれを売り物にしている塾ではありませんから、当然あまり秀才・天才は集まりません。
けれど、最近はそうでなくなったのが残念ですが、以前は生徒会や体育祭のブロック長や、部活キャプテン・合唱コンクールの指揮者などをかって出ていた人が多かったです。
大手塾に通う子はそういうのを一切やらなかったり、部活も早退していると聞きました。
そして、合唱コンクールの打ち上げの日程を決める際も自分たちの塾の曜日でない日に決めたがるそうです。
そりゃあ、偏差値は高いだろう、でも、人としてどうだろう?って感じです。
いつも、訪ねてきてくれる私立高校の先生に○○さん、結婚しましたよとか、○○さん勉強はさっぱりなので、大学進学はせずに調理師専門学校に行くそうですとかいうと、そうですか?あの子の店なら僕行きますよ。いい子ですからとおっしゃってくださいます。
1人2人の高校ではないんですよ、数百人1学年にいるのに覚えてくださっているのです。
以前こんなことがありました。プロゼミ卒業生2人がある高校の生徒会役員をしていた時のことです。先生方が、ほんとに心の底からほめてくださいました。とってもいい子で責任感強く頼りになると。
すると、横から別の塾の先生が、うちの○○は頑張っていますか?と聞かれました。
その子の噂は実は先出のうちの卒業生から聞いていました。とても優秀で英検1級も合格したと。
すると、先生が?・どこのクラスですか?と、聞かれました。実は卒業生と同じクラスなんです。しかも、うちの卒業生は3級もまだ受かっていない状況。もう一人の子は別のクラスですが偏差値的には低いクラスなんです。
かたや、優秀な生徒、こちらはお世辞にもそうは言えない。けれど、先生方の印象にしっかり残っている。どちらが大切かしらと、思わせるエピソードです。
で、なにゆえ、このようなことを述べているかというと、電車の中である若い男性の会話が耳に入ったからです。その話の内容を聞いていて思い出した次第です。
偏差値は間違いなく双方高い感じ。だって、四字熟語いっぱい出てきていてお互い会話成り立っていたから。
で、一人の男性が言いました。
「俺、対岸の火事大好きなんだよ。相手が下がっていっている間に俺は相対的に上がることができるから」 はあ~(#^ω^)なんちゅうこと言うんだ、この男と、内心いらいら。
友人もさすが「お前それは性格悪すぎ」と言いながらもまさに自分もそれに遭遇していると、なんやかや話している。「で、その、ヒステリックなおばさんに誰も異を唱えなくてさ」とか言ってる。
おいおい、私が君たちの話に異を唱えてやるぜ!!
……たくって感じでした。俺は相対的に上がるなんて言葉よくご存知で。わかっているからこそ、相対的にと使えるのだろうけれど、私なら一緒に相対的に下がっても助けに行きます。
ほんと、いつから、こんなになってしまったのか。
小4の国語の教科書に必ず今でも「ごんぎつね」が載っているという。
中学の教科書にも、毎年「走れメロス」が掲載されている。
また、中3では森鴎外の名作「高瀬舟」。苦しむ弟の自殺幇助で、殺人罪に問われ島流しになる罪人と船頭の会話が中心だ。そのことにより、死というもの、思いやりなどを学んでいくのだろうが、残念ながら、テストの題材にはされず、かと言って感想を話し合うこともなくただ、1回読むか最所から学ばないか。
中3の男子が「テストに出ていないから知りません、見ていません」の返事。
私が中学の頃は4月に配られた段階でどんなお話が載っているかとわくわくして、すぐよんだものだけれど。
結局点数につながることだけを親も子も目の色変えて追い求める。それでは上っ面の人間しか育たない。人の不幸により相対的に俺は上がれるなんて、決して思ってほしくない。
まだ、間に合う。プロゼミに縁あって入ってきた子供たちだけでも、心豊かな人間に育てたい。
プロゼミ 小川