光陰矢の如しだけでは表されないくらいにアッという間の令和6年。
気が付けば、もう師走です。今年は、猛暑続きで、秋がなく、だからといって、冬将軍もまだ訪れず、街に流れるクリスマスソングを聞いても、おせちのCMが流れてきても、ちっとも、ぴんと来ないまま、年の瀬を迎えることになりそうです。
ブログも前回から半年近く過ぎていますね。実は、その半年前から遡ること、3か月…
愛しのドナちゃんが旅立ちました。私には、10年以上前から、顔面痙攣という持病があり、これは、脳手術しか、完全には治りません。けれど、命に関わることではないので、ボトックス治療を行いながら、騙しだまし過ごしてきました。その途中に脳腫瘍が見つかり、これは、悪性でなくとも、日常生活に支障を来たすので、5・6年ほど前に手術を行いました。
その際ドナちゃんは、独りぼっち。以前のブログにも書いていますが、時折、妹や姪がお世話に来てくれてはいましたが、それは、とても短時間にしか過ぎませんし、私以外の人間にはあまり慣れておらず、噛み癖もあったので、そこにスキンシップはなかったと思います。
ですから、退院した時は私から離れずちょっとでも姿が見えなくなると、悲しい声で鳴きます。ですから、ドナちゃんが生きている間は、二度と淋しい思いをさせたくないと、ひょっとこのような顔になっても辛抱していました。今年になり、段々弱っていくのはわかりました。ネット検索などで、最期を迎える時の様子などを事前に見てはいましたが、老衰であるならば、静かに息を引き取るというようなことも書いてあり、人間と動物は違うかもしれませんが、母の最期はとても穏やかで、いつ、息を引き取ったかも気づかないくらいでした。
最期が近づいているときは、殆どドナちゃんは寝たきりになりました。勿論食事も受け付けません。徐々に呼吸が止まっていくのだろうと思い見守っていました。実は、ドナちゃんが旅立ったのは3月29日だったのですが、翌日は高校の同窓会で私は幹事を務めていました。ドナちゃんは、飼主孝行なのでしょう。日付は変わり30日の午前2時ごろ息を引き取りました。ただ、想像を絶する苦しみようだったので、それだけが辛くてなりません。
私はペットロスにならないよう、骨などは残さないようにしました。ペット葬もしませんでした。けれど、やはり、心には、ぽっかり穴が開いたままです。
けれど、ある意味、これは、ドナちゃんがくれたチャンスなのだからと、7月中旬に手術を行うことにしました。中3が今年はおらず、夏期講習の必要もなく(当塾は中2までは夏休みも通常通り)今しかないと思いました。手術は無事成功しましたが、やはり、気になるのは、いくらまだ受験生でないとはいえ、2週間(中2は週に2回の通塾なので本来ならば4回塾での指導となります)何も勉強しないままだと、生徒達の学力が極端に落ちるのではないかという、心配ばかりが募ります。そこで、夏期講習は実施せずとも夏休みの宿題として、きちんと範囲も指定して、テキストは一旦親御さんに預けその都度テキストを受け取り、宿題をしたら、スマホで送信してもらうようにと、くどいくらいに伝えて入院しました。
三日三晩吐き気に襲われろくにスマホを見ることが出来なかったのですが、ようやく体調も楽になり、わくわくしながら、画面を開いたら…!!
何ということでしょう!!
殆どの人が提出していませんでした。信じられませんでした。
成績が下位の人でもできそうなところを選んでいたのにも関わらずです。心の底からがっかりしました。完全に私の独り相撲だったわけです。
当然親御さんは協力してくれるものだと信じ切っていましたし、生徒達も先生が今手術をして入院している大変な時だ、よし!僕たちもがんばろう!となってくれるとばかり思っていました。
けれど、現実はそうではなかった。聞けば親御さんも一生懸命宿題をするように言ってくれたようですが、いやだ! しない!と言って取り付く島もなかったそうです。
実は脳腫瘍で入院した時も同じように宿題を出しました。この時は春休み。中2が中3になる前。結構大きな腫瘍でしたので一刻も早くということで、腫瘍が見つかってから、一週間も経たないうちの入院でした。 この時も1ページもしていない生徒が多かったです。
中1から中2に上がる生徒達はやっていました。ですから、先輩がやっていないことが不思議でならなかったようです。なぜ?と、首を傾げていました。
結局そういう時やっていない人はずっと成績は上がらなかったし、なぜ?と首を傾げた生徒は進学先の先生に入学試験を受ける前の見学の時から人柄をべた褒めされ、とても充実した学生生活を送っているようです。
学力の有る無しで、人を差別することは絶対あってはならないことです。成績上位の者が下位を見下すこともしてはいけません。正直多かれ少なかれ持って生まれたものや、ここに至るまでの環境によっても学力の差は生じます。それは、家庭環境がどうのこうのというよりも、幼稚園なり保育園なりの先生や友人との関わり、そして、今度は小学校。また、これまでに通っていた塾の環境と、本人達が人間形成されていく間に間違いなく外因もあります。
そして、今、この塾においても成績が下降気味の人は、もしかしたら、プロゼミが合わないのではという思いにも駆られます。人の一生って宿命というか運命に抗うことはできないのかもしれません。
少し、話が飛びますが、3月の同窓会で車椅子姿でも元気よく出席していたリーダー格の友人が、私が退院した翌日に息を引き取りました。気分が悪いと友人に電話をかけて、病院に連れて行ってもらったのに、ものの30分くらいの点滴で熱が下がったから帰れと、言われたそうです。普通なら、用心のために一日入院しましょうか?とか、CT撮りましょうの一言があってよさそうなものなのに、とても冷淡な仕打ちです。結局帰宅後クモ膜下出血で亡くなったということです。
よく、医者を選ぶのも寿命のうちと言いますが、この一件でつくづく実感しました。
これが、実は、ある意味高校受験にも同じようなことが言えます。
中3のクラスメート・担任に左右されることはあります。そして、このままプロゼミにいることが果たして正確な選択肢であるかどうかも、残念ながら今はわかりません。悲しいかな、結果が全てなので、結果を待つしかありません。ただ、いずれにしろ間違いなく言えるのは、大手塾に転塾しようが、家庭教師をつけようが、このままプロゼミにいようが、最終的には自分たちの努力でしか成功への道は開けないということです。
まだまだ、わかってくれていない生徒が多いので少々もどかしい思いを抱えつつ、今年も暮れようとしています。
プロゼミ 小川