塾のこと、介護のこと。

プログレスゼミナール

コロナ禍で、また取沙汰される教育格差

 


収まるところを知らない、コロナの感染。福岡市内でも最近学級閉鎖が相次ぎました。
変異株は若年層に感染しやすいことをまさに物語るもので、ほんとに毎日綱渡りの状態で塾での指導をしているという感じです。
最近、東京より大阪の方が感染者が増加し、その中での中学生の動向を半年間追い続けたドキュメント番組を見ました。

休校の際のオンライン授業。ここで、まず浮き彫りになるのがデジタル格差。端末を学校が貸し出すにしてもWi-Fi環境がなく、貧しい家庭は、最小限のギガ数しか契約していないため、ずっとオンライン授業に参加できないという悩み。
母子家庭の子は、母親が飲食業のパートの道を絶たれ再就職も難しく高校進学をあきらめそうになる。これには、学校側がきちんと説明するべきであったと思いますが、今は就学支援制度が確立されているので、たとえ、私立校でもさほど毎月の費用はかかりません。
けれど、考えたら制服代とか教科書代とか最初はかなりの出費です。その辺の計算をきちんとして、ボランティアで塾を開いている代表の人が母親に説明。どうやら、なんとか、この子のケースは高校進学を制度利用で諦めなくて済むめどがついたようでした。
そして、そのあと、学力の差と親の収入の相関性がデータで示されました。確かに年収が高いほど、子供の学力は高かった。でも、あくまで、一般的なデータです。この問題になると、私はいつもイライラします。多分、何度も今までも言ってきていますが、貧乏だから、勉強できなくて、金持ちの家に生まれたから勉強できるとか、なぜ、断言できますか?
子供は親を選べません。ですから、裕福な家に生まれる子、かつかつの生活を強いられている家庭に生まれる子は、最初から生活の文化程度は違います。
ですが、教育は平等です。お金持ちの家の子に勝とうと思ったら、スポーツか勉強しかありません。そこで、奮起するかどうかだけの違いで経済的な格差は関係ないです。
だって、スポーツ推薦・学力推薦が今の世の中あるんですよ。秀でた人は無償で大学に行ける世の中です。ただ、勿論そういう人たちは選ばれしもの。普通の人は、そうはいきません。
けれど、それでも腐らずにある程度努力を重ねれば、奨学金制度などを利用して、志望校への進学は可能です。ですから、親の収入格差=子供の学力格差には、やはり異を唱えたい私です。

けれど、そのあとの人間関係の豊かさと、学力の関係については、う~んと考えさせられました。人間関係が豊かな子ほど成績がいいというのです。家庭環境・部活・クラスなどの色々な人たちと和気あいあいと、楽しく密に交わっていることにより、精神の安定が保たれ自己肯定感も生まれ勉強にいそしむことができるというような内容でした。
私は、塾で生徒たちを指導していて、全然集中力のない子や、何度も同じ間違いを繰り返す子たちに対して、咤激励より、叱咤・叱咤だけの時が多々ある気がします。いわゆる、昭和時代の根性論というやつです。
やればできる! 努力は嘘をつかない! 怠けるな! 昔の生徒は食事もせずに走って塾にきていたのよ! 熱があろうが気分が悪かろうが這うようにしてきていたのよ!と、もう、ぷん、です。

でも、考えてみたら、多くても週に3回しか顔を合わせないわけで、それ以外のみんなの様子は知らないわけです。塾で見せる顔とは、別の表情を彼らは家で、部活で、クラスで見せているわけです。
昔弟さんが交通事故にあい、手術をしていた当日も塾に来ていた子がいました。私はそれを知りませんでした。また、父親を亡くした子がお通夜やお葬式にかぶらなかったのか、普通の顔をして、塾に来ていたこともありました。どちらも、他の塾生は同じクラスとかだったので、知っていたのに私に告げなかったのです。
後で知ることになり、驚いたと同時に、もしかしたら、その子たちは塾に来ていても集中できずにいて、理由を知らない私は当時怒り狂っていたかもしれません。

難しいなとつくづく思います。成績が伸びないのは、やる気がないわけでなく、どうしてもやる気が出ない何かの原因がどこかに潜んでいるのではないか、そこに、目を向けずに頭ごなしに叱ってはいないか?
どこかの場面で人間関係がうまくいっていないのではないか?

今までは学力を伸ばすために色々手を変え品を変え生徒たちに接してきましたが、まずは、心の安定を図るすべを考えることに重きを置くことの方が大事なような気がしてきました。
30年以上塾を続けていても、なかなか正解が導き出せないでいる私であります。

プロゼミ  小川 文子

コロナが続く中しっかりと今年も桜が咲きました。

 


一向にトンネルの出口が見えない中でも、生徒達はいつものように学校に行き、そして、受験を迎えました。
昨年は、受験者が400人を超える高校のみであったWEB上での公立の合格発表は、全公立となりました。そして、なかなかスムーズに移行できなかった教育委員会のホームページも随分と改善され、わかりやすくお目当ての高校を選択することができるようになっていました。
あらゆる面でのデジタルの推進化に結果的にコロナが一役買った形になってしまい、ほんとに皮肉なものですね。

中学校でも土曜日などにオンライン授業が設けられ、登校してもいいし、自宅から授業に参加してもよいということで、塾の生徒達も各々どちらかを選択し授業に臨みました。
「どんな感じだった?」と、聞くと、即、フリーズしたそうです。教育委員会が決めたカリキュラムに従わねばならないというのが正直なところでしょうが、そりゃあ、曜日、時間をずらさなければ動きは悪くなるでしょう。回復した後もたびたび遮断されたりもして、ただ、疲れただけ、何も頭に入らなかったそうです。
実は、私も昨年、ある私立高校の先生に誘われてSkypeによるオンライン授業を参観したことがありました。まず、Skypeのアプリのダウンロードで四苦八苦。ようやく授業に参加できましたが、やはりなかなかスムーズには進めませんでした。

考えてみれば、今こうやってワードに入力していますが、私が幼稚園教諭の時代は、ガリ版刷りで園便りを作成していました。FAXもようやく出始めた頃で、送信するときもおっかなびっくり。ポケベルさえもありゃしない。ほんとにアナログが全盛の時代に生きた私は今の世の中のスピードについていけません。

テレワークが主流になり、いわゆる「おうちごはん」も多種多様となりました。主婦も若者も何のためらいもなくごく自然にレトルトや、冷凍食品や、カップ麺などを購入します。
勿論、かく言う私もですが、私が若いころは、そういった類の食品はまだあまり開発されていませんでした。

私が高3の頃『ヤング・oh・oh!』というテレビ番組がありました。若かりし頃の明石家さんまさんや、島田紳助さんらが出演していて、大阪での公開録画でした。会場のお客さんと一体になったゲームみたいなものもあり、お客さんが勝利すると、プレゼントとして「カップヌードル」がもらえました。
??? 何? カ、カ、カップヌードルって?と私はず~っと思っていました。
食文化というものも地方にやってくるまでには時間がかかる時代。カップヌードルの正体がわかるのは、それから、随分たってからのことでした。今では忙しい時にはすっかり重宝していますが(笑)

でも、私、思いました。
明治維新の時代に、もし生まれていたらと。ある日を境に江戸から明治へ。ちょんまげから、散切り頭へ!!
今より、もっともっと国民は大変だったろうなと。
そして、太平洋戦争の前後も!!
例えば、量のはかり方。今までは。匁だったのがgですよ?! 長さも一尺とか言っていたのに㎝です。私の両親世代も、それはそれは、面食らったことでしょう。今のアナログがデジタルに変わっていったことよりも衝撃だったと思います。だって、移行期間はないんですもの。有無を言わせないんですもの。あれよあれよという間に世の中は変わっていった。
戦前に信じていたすべてのものが、敗戦となったその瞬間から否定されたのですから。
教科書も黒塗りです。教師も完全に指導内容を変えねばなりません。天皇は神ではない。象徴となり、国民に主権はあるのだと。

今年から高校数学が中学に下りてきます。理科なども変わります。高校時代、物理で0点をとったことがある私。数学なんて何を習ったかも覚えちゃいません(;^ω^)
でも、弱音は吐けませんね。ガリ版刷りの頃が懐かしくはありますが、やはり、先人たちもそうしたように今を生きる人間は目を背けずに新しい時流に乗るべく日夜努力しなければならないのでしょう。幸い今はコロナ禍であっても戦時中ではないのだから。平和なのだから。先人たち(つまり今のお年寄りたち)が青春を犠牲にして守ってくれた日本の今を生る私たちの義務なのかもしれないのだから。

合格おめでとう。

私立

東福岡 特進英数コース
中村女子 スーパー特進(全額特待)
公立
福岡中央高校
筑紫が丘高校

プロゼミ卒業生の大学合格情報

九州大学・北九州大学
佐賀大学
同志社大学・立命館大学
福岡大学・西南大学
日本大学・九州産業大学  等々

新年あけましておめでとうございます。

 


新年あけましておめでとうございます。

昨年は、コロナウイルスの影響で、世界中が混乱しました。今年こそは、よい年にと願いたいけれども、今までにも増して感染者数が世界中で増えており沈静化には、程遠いようです。
日本には、外国のようにロックダウンができないので、結果的にお願いベースでしかないと、行政は言います。けれど、残念ながら、いくらお願いしますと訴えたところで、自分には関係ないやと思っている人が多いのも事実です。

今日のことですが、電車に乗る前にICカードにチャージしようと、「チャージお願いします」と係の人に千円札とカードを渡し、チャージ後は「ありがとうございます」と言ってカードを受け取りました。次に、また別の女性がチャージするために窓口に向かって行っていたので、何の気なしに見ていると、係の人に無言でお札とカードを渡し、チャージ後も無言のまま受け取っていました。また、食料品売り場で列に並んでいた時、前の人がいつまでも何やらレジの人と話していました。今は、必ず清算前にレジ袋の有無を問われます。その人のかごの中には2点くらいしか入っていなかったので、レジ袋のことをずっと話す必要あるのかな?と思っていると、その人はレジの人と話していたのではなく、携帯相手に向かって話を続けていたのです。今の若者はBluetoothイヤホンで話すため、携帯自体を耳元に置いていないので、まるでレジの人と話しているかのように、見えたのです。これまた、黙ってお札を渡し、いや、携帯相手と話し続けながら、渡して、黙ってお釣りを受け取りレジの人に会釈もすることなく去っていきました。完全に自分たちが優位に立っていて、相手を見下している態度です。確かにお客様は神様ですという言葉も以前流行したように、そこに上下関係は成り立って仕方がないのかもしれません。以前、似たような光景をコンビニでも見たことがあります。その人は、コンビニの近所の保育園の先生でした。お昼休みに昼食を買いに来たのでしょう。私は、その時、この人に指導される園児はかわいそうだと思いました。
今の人たちは、本当に人に対する思いやりや敬意が希薄です。たとえ、こちらが客の立場であっても、やはり人としての接し方は最低限のマナーとして持っておくべきだと私は思います。コロナのことにしても街角インタビューなど聞いていても、「いや、大丈夫でしょ。周りにもコロナの人いないし。緊急事態宣言?別に関係ないです」とあっけらかんとしています。
自分が感染しても勿論困りますが、自分たちの軽はずみな行動がほかの人たちにも感染を広げることになるという自覚などをなぜ持ち合わせることができないのでしょうか?

そして、申し訳ないですが、その人たちって、いったい親御さんからどんな教育を受けてきたのかしらと思ってしまいます。教育とは、学問の知識だけを教え込むのではないはずです。
人として、何が一番大切かを、親御さんは、まず教え込まねばなりません。塾をやっている身としておかしいかもしれませんが、私は、やはりそこが教育の第一歩だと思っています。

相手の立場になって物事を考えるということが、なかなか実行できない人たちの集まりでは、コロナ感染に歯止めはかからないかもしれませんね。 私は、時折、うっかりマスクを忘れてしまい「大丈夫、ならんけん」と言う生徒たちに、冗談めかして「いやいや、あなたたちはならなくても、私に移ったらいかんやろ? 私は高齢者なんだから、重症化する恐れがあるんだから」と言って、塾に常備しているマスクをつけさせます。
みんながみんなを思いやる。ただ、このことだけを実践したら、春ごろには一旦であっても収まるかもしれませんね。

昨年は卒業式も入学式もなし。小6から中1への移行がままならなかった為、基礎学力がついていないままの生徒がとても多いです。学校の5教科の平均点の殆どが50点前後です。中1の一学期の簡単な英語ですら、その有様です。いつも、お年寄りや子供のように、弱者が犠牲になります。辛いですね。 けれど、長い歴史の中で戦争や大災害などありとあらゆる災難を我々日本人は乗り越えてきたのだという、人間の偉大さ、強さも、また、改めて感じることができるいい機会にもなった気がします。
今年こそは、本当に心もぽかぽかになる春が訪れることを願ってやみません。

プロゼミ  小川 文子

オンラインは嫌いだ

 


コロナの影響で、オンライン授業を売りにした塾が続々と登場しています。また、既存の塾でもオンラインとの併用あるいは、オンラインのみの受講者も募集しています。
正直再び感染者が急増し、学校の部活などのクラスター発生に、いわゆるコロナ鬱のようになり、学校に通えていない子供たちもいるようです。

当塾の生徒達も、うつにはなっていませんが、夜になっても暑さが続くこの猛暑、わざわざ通塾したくないなと口にする子もいます。私も、若干思います(笑)

確かにオンラインは便利。以前の投稿でも生徒たちと面白いキャラクターになって、結構楽しんでやれたことも書いています。ただ、あまりにも家庭環境が見えすぎて困ったとも書いています。
けれど、それ以外にも、何か腑に落ちないものを私はずっと感じていました。そして、その理由に最近気づきました。

私は、塾の優先順位を知らず知らずのうちに、勉強以外のことを上位にあげていたのです。
よく、生徒に成績だけUPさせたいなら、学校には行かなくてもいいと考える塾もあるよ。と私は言います。塾で、学校でのまどろっこしい説明を聞かずにさっさと進めた方がどれだけ効率的かと。
中3の3学期は、仮病を使い学校を休む人が増えます。
受験勉強のことだけ考えたら、副教科に費やされる時間などは、無意味になると考え上位校に合格させることのみに心血を注いでいる塾などは、平日も朝から塾生を呼ぶところもあります。
当塾の生徒にも学校に行きたくないと言い出す人がそのころになると出てきます。

だけど、私は行きなさいと言います。学校は勉強をしに行くところではないからです。
友達や先生方の触れ合いなどから、社会に出て役立つ様々なコミュニケーションツールを知らないうちに学べることが一番の目的だと私は、考えます。辛いこと、嫌なこと、理不尽なこともすべて含めて。

このような考えを私は持っているので、塾もオンラインだけにしたくないんです。
よその塾はどうなのかわかりませんが、私は、生徒の勉強の進捗度以外のことも、すごく気になります。
急に言葉遣いが乱暴になったなとか、筆圧が弱くなったなとか、何か悩み事があるんじゃないかなとか、家で何かあったのかなとか、友達とうまくいっていないのかなとか、もう、あとからあとから色々な心配がわいてきます。
特に小学校低学年から中学まで通ってきている子などは、毎年毎年色々な出来事に直面します。
友達がいないとか、いじめられているとか、泣きじゃくる子供たちの話に耳を傾けながらなんとか少しでも力になろうとあれやこれや解決策を示しながら、どうにか乗り越えて、結果子供たちがたくましく成長し強くなったなと思える瞬間のほうがテストの点数が高得点より嬉しかったりする私です。
こういうことって、オンライン授業だけでは、無理がありますよね。
一対一の対面のオンラインでもです。
なんか画面を通してだと、盛り上がり感も見せかけだけで、すごく無機質なものに感じてしまいます。
ソーシャルデイスタンスを守らないといけないので、塾を再開してからは、私の机にはアクリル板を設置していることも前回触れました。
映画館のチケット売り場の窓口のように、そこから生徒はテキストを差し入れます。そして、私が採点してまた返すシステムです。
だけど、そこに向かわず、私が座っているところに直接持ってくる子もいます。
「いやいや、それじゃ、意味ないじゃん」と言いつつ自然に笑みがこぼれます。
スキンシップはまだまだできないけれど、心と心はつながっているという思いを持てるからです。可愛くて可愛くて、ほんと、ぎゅっと抱きしめたくなります。

プロゼミ 小川

学校再開

 


ようやく緊急事態宣言も解除され、学校も分散登校ではありますが、再開されました。
学校がお休みの間、当塾では、3密を防ぐために時間を区切り1人ずつの指導を心がけ、
コロナ感染が深刻さを増してからは、ラインによる、オンライン授業に切り替えました。
これって、相手の画面に自分の顔が、かなりのアップで映し出されるわけで、少々抵抗がありました。みんなの、ぴちぴちのお肌を見るにつけ、がっかりしたり、恥ずかしかったり。
でも、これまた、生徒が教えてくれたのですが、色々なキャラクターに変身できる機能があり、そのたびに、うさぎになったり、猫になったりして、なるべく、生徒の祖母世代の私は、自分の顔をカモフラージュしながら、頑張りました(笑)。
生徒たちは生徒たちで、大口開けてがつがつ、ものを食べるおデブキャラになってみたり、ちびまる子ちゃんのおかっぱ頭になってみたりと、楽しみながら、約2週間、ほぼ、毎日頑張りました。
けれど、オンラインは便利なようで、Wi-Fi設置場所がリビングなどにおいてある場合は、どうしても、他の家族の様子も知らず知らずに映し出され、集中力にかける場面もありました。友達と携帯で大声で話す。あるいは、TVを観る、ピアノを弾く、etc.
こちらからしたら、兄弟が勉強中なのだから、静かにできないものかと思いますが、何となく、気持ちがわかるのです。塾によっては、完全休校、あるいは、塾に行っていない兄弟は、オンライン授業は、おろか、学校以外で学ぶ場所もない。
無意識に嫉妬みたいなものも生まれたのではないでしょうか?

コロナ感染の割合が減り、また、そういうこともあって、また、十分3密にならぬよう、ドアを全開、マスク着用、消毒、私の机の上にはアクリル板の仕切りを置き、塾での指導に切り替えました。

そこで、まず取り組んだのは、塾教材ではなく、まずは、学校から送られてきた宿題プリントです。正直手つかずの子もいたからです。鬼のような怖~い私が見張っていないと、できない子もいるわけで
( ;∀;)

学校側は、特に、公立は、勝手なことはできません。すべて、まずは、文科省の指導の下、教育委員会に通達された内容が、各学校に行き渡って、初めて宿題の作成が始まります。
ですから、とにかく遅い、遅い。
エイプリールフールなのでは、と、日本のみならず、世界中で揶揄された、例の、アベノマスク。ようやく、届きました。巷では、マスク需要が落ち込み、これで、一儲けしようと企てた店は、軒並み在庫の山。投げ売りの状態になっている今届く。

それと同じです。遅れに遅れ、そのあとは、一週間ごとにどっさりと届く。しかも、おうちの方へ、丸投げ。また、家庭に配布した宿題内容は、既に理解済みとみなし、学校では教えないと!!無茶苦茶な話です。

ポイント1: 起きてから寝るまでの生活時間を決めてください。
ポイント2: 子供と話し合って学習時間を決めてください。
ポイント3: 子供が、自分の力で学習に取り組むことができるように見守って下さい。
・「どう思う?」「一緒に考えよう」など、子供が考える時間を大切にする。
・お子様に適した応援の仕方や言葉かけを見つけ、頑張ったところは、しっかりほめる。
上記のように記された教育委員会からのプリント付きでした。

本気で、実行できると、果たして思っているのですか?と私は言いたい。
当然、これまた、文科省のガイドラインに沿って、まとめられ、それを各学校に伝達する。
ただそれだけのこと、マニュアル通りに仕事をしただけではないでしょうか?
私たちは、ちゃんと指示通りにしましたよと、結局はただそれだけのことです。

普段、通常通りに学校生活が送れているときにでも、正直、何も宿題やってこない子もいたはず。していても、答え丸写しの子も大勢いたはず。そういう子供たちは、なおさら、この、状況では、宿題なんてやるはずはありません。
また、家庭環境もあります。共稼ぎ家庭では、とてもじゃないですが、学校の代わりはできません。へとへとに疲れて帰ってきて、家事もこなさないといけない母親にとっては、尚更です。また、うちの生徒の家庭ではありませんが、ネグレクト(育児放棄)・DVに悩む家庭もあるはずです。そこで、親が、「どう思う?」とか、「頑張ったね、よくできたね」とかいう言葉がけをしますか?全く、親身になって考えてよ!と言いたくなります。
中3ともなれば、しっかりした意見も持っています。
9月入学にすべきではないのか、このままで受験まで間に合うのかと、不満も不安も口にします。
私立校では、独自にカリキュラムを考えられますし、資金も潤沢にありますから、随分前からオンライン授業なども始めています。また、IT化に以前から取り組んできた地方都市は公立の場合でもオンライン授業が活発です。

となると、完全に、コロナ世代の子供たちは、格差が生まれてしまうのは間違いありません。
塾の使命は、塾に来てくれている子供達だけでも、将来に向けて、コロナに負けず、この苦難をばねにして一回りも二回りも成長してくれることを願い、その手助けをしていくことだろうと思います。

プロゼミ 小川 文子

コロナの影響で様変わり

 


3月、公立高校受験の月。私立高校は、まだ、卒業する前に合格発表があります。
朝一番にバイク便で学校に運ばれますが、生徒自身が知るのは、放課後。みんな、授業とか上の空で耳に入らないですよね。
最近はインターネットが普及。家庭でもパソコンを持つ家庭が増えました。そんな、ご時世ですので、保護者の方も、私も、9:00の発表と同時に震えた指先でスクロールしていくわけです。
公立は、みんなで、高校に行き、担当者が模造紙を何枚も張り合わせて作成した巻物(笑)を仰々しく開いて張り出していくのを、今や遅しと固唾を飲んで待つわけであります。
そして、自分の受験番号を見つけるや否や、携帯で母親に、そして塾の先生に報告するわけです。
「せんせ~!受かった!」あるいは「ごめんなさい」と言ったきり、号泣する場合もそれは、ある。致し方ない。
私の時代は、公衆電話。10円玉を握りしめて長蛇の列に並ぶ。私の母校は福岡中央高校。自宅から、徒歩15分くらいのところに位置します。最初は、じりじりしながら、順番を待っていましたが、こりゃあ、家に帰って報告したほうが早いと、小走りに帰りました。
母は、てっきり、電話があるものと思っていたので、直帰した私への、第一声は「落ちたろう?」でした(苦笑)
けれど、今回は、濃厚接触を避けるために、450名以上の受験生のいる高校は、ホームページ上で閲覧できる配慮がなされました。
例年ですと、今か今かと、連絡をやきもきしながら、待ったものですが、今年はすぐに自分の目で確かめられます。
9:00と同時に県のホームページを開くまではよかったのですが、そのあと、発表のサイトに飛ぶまでにあたふたしていたら、もう、数分も違わずにラインでの連絡が生徒たちから入り始めました。私の予定としては、いち早く自分の目で生徒の受験番号を見つけ、「やったあ~」と、叫び感涙する予定でしたが、若者には勝てず。感激が半減。若いお母さん方はすぐにサイトが開いたみたいで、やり方を教えてもらいましたが、ちんぷんかんぷんで、教育委員会に電話すれば、若い職員が、「ですからwコロンスラッシュを~」と、これもわからんのかという感じ、いえ、いえ丁寧に教えてくださいました(苦笑)

実は、一人の男子は志望校推薦入学は叶いませんでした。なんと、行先番号を確認せずにバスに乗ってしまい、乗り間違いに気づき試験開始前3分にぎりぎり間に合った子です。
多分、ちょっとそれがマイナスに働いたでしょうね。お母さんの話では、公立入試日も一日間違えていたらしく、もう、その子が「先生」「番号ありました」と、ラインしてきてくれても、そりゃ、この目で見るまでは信じられません。あたふたしながら、ようやく開けた!
あった! よかった! みんなよりは、遅めの感激に浸りました。
また、450名以下の高校や、市立の高校は直接掲示を見に行かねばならなかったので、今度はその子たちの合否の連絡待ちでした。
塾での模擬試験はあまり高得点を採れていなかったので、心配していましたが、案外合格者が多く、嬉しい誤算でした。

コロナの影響で大手塾は軒並み休みとなりました。私も迷いましたが、生徒がさほど多くないこと、そして、自宅では多分ひたすら勉強はできないだろうと、休まないことに決めました。
特に中3は試験前の1週間は、昼も夜も来させました。これが結果的に功を奏したかどうかは、わかりませんが、ほんとに、健康で何事もなく受験が終わったので、ほっと、胸を撫でおろした次第です。

今回の、コロナ騒動。安倍総理にも批判が集まりましたが、誰も経験していないこと、ある意味有事、トランプ大統領は、 “WAR”戦争だと言っています。両親たちが経験した戦争とは比べ物にならないのかもしれないけれど、当時の辛さ・不自由さが少しわかった気がします。そして、間違いなく、このことにより、子供たちの学力が急降下するであろうことも。
生活習慣も乱れるでしょうし、今こそ、家庭の力も問われます。
私も微力ながら学校に行けないでいる生徒たちの学力をキープさせ、また、UPできるようがんばって行きたいと思います。

プロゼミ 小川文子

感情が薄い子供たち

 


みなさん、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
お久しぶりの投稿になりました。

さて、最近あるTV番組で興味深い話を聞きました。子供の成長を見てもらうために行く健診。
そこで、あるお母さんは先生から、あなたのお子さんは、とても、感情が薄いです。喜怒哀楽がはっきり出せるように、してくださいねと、言われたそうです。
普通、健診といえば、体重が足らないだとか、身長が標準以下だとかを言われる感覚ですよね? きっと、そのお母さんも面食らわれたかもしれませんが、いい先生に出会われたと思います。
それから、お母さんはあることに気づかれました。ある、お笑い芸人がTVの画面に映ると大声で笑うことを。私も好きです。「千鳥」の大悟です。あの、独特の岡山弁で、のらりくらり話すところがたまりません。この、赤ちゃんは通好みですね(笑)粋ですね(^^♪
で、実際会わせてやろうと、ある企画番組に依頼。実際会うことができることになり、いざ、ご対面。すると、ブラウン管(いや、今は違うか、笑)から憧れの人が実際飛び出してきたことに驚いたのか、なんと、号泣。笑顔はついに見られませんでした。けれど、お母さんはそれでも、大喜び。こんなに、大きな声で泣き感情をあらわにしたことが初めてだったから。

今の子供たちも健診の時、そういう先生に出会っていたらなと、私はつくづく感じています。
能面のような子がなんと多いことか。にこりともしなければ、怒りの表情も見せない。
元気いっぱい、「こんにちは、さようなら」の挨拶もできない。魂の抜けたような表情ばかり。
実は、このことが、勉強にも大いに影響します。
福岡県の入試問題の中で英語は全国より、比較的簡単です。特に会話文は点取り問題です。
例えば、「顔色悪いね、どうした?」と聞かれ「おなかが痛いんだ」となれば、「そりゃ、大変だね、お医者には行った?」みたいに、ある程度、スムーズに会話が成立するものです。
きれいな花をみて、「わあ、きれいね、見てみて」となったら、「どれ?わあ、ほんとだ」となってもよさそうなものですが、そもそも、いや別に何とも思わないからとか、言われたら、もう、正解を見つけ出すことは、困難です。顔色悪い子を見ても、何も感じなければ、これまた、正解は見つけ出せない。
感情が希薄だと、コミュニケーションもとれないから、言葉のキャッチボールも不可能。
よく、食事中は私語もせず、TVも観ずに、食事に集中するようにという、躾をなさるご家庭もあります。大声で笑ったり、顔をしかめたりするのは、下品だと教える家もあるかもしれません。慎み深いことと、感情を顔に出さず気持ちを抑えることは違う気がします。
例えば、お葬式の最中にゲラゲラ笑ったら、NGでしょうが、やはり、よく遊び、よく学んで、よく食べて、よく動いて、よくおしゃべりして、笑って、怒って、泣いて、楽しんで人生送ってほしいです。
そういえば、昔、ある知り合いが言っていました。
「私、人が泣いている場面をみたら、ああ、悲しいのか、じゃあ、私も泣こう、あるいは、笑っていたら、楽しいのか、なら、笑おうと思って笑うようにしている。自分には、そんな感情がないから」と。
私はそれを聞いて絶句。はあ~、そんな人もいるんだ。
私は少し、感情コントロールが必要かなと思うくらい、怒ったり、笑ったりしているから。

生きていくうえで何が果たして正解かはわかりませんが、やはり、感情が薄いということは、人生、少しばかり、損をしている気がします。

プロゼミ 小川

教育虐待

 


最近、父親が、小6の我が子を刺殺したという、事件があった。
私立中受験に向けて自宅で父親が勉強を教えていたのだが、なかなか成績が伸びない。
勉強量も足らない。厳しく厳しく何が何でも名門私立中に合格させるべく、これだけ教えているのに自分の思い通りの成果を出せない息子に、父親は絶望し、腹も立て、刃を向けてしまった。
そのニュースの後にも同じような理由で、我が子を引きこもりにしてしまった父親がいるという話も聞いた。

こういったことは昔からあったとは思う。親や教師が、教育・しつけの一環として体罰をふるっても認められてきた時代だ。その時代に生きてきた両親に育てられてきた子供が今度は親となり、同じように我が子に接する。ごく、自然の成り行きだ。自分もそのように教えられしつけをうけ、いい学校、いい会社に行ったのだ。だから、我が子にもそうなって欲しい。そうなるべきだ。いや、そうなるに決まっているという、強い思い込み。
しかしながら、今の子供は塾で指導していても思うのだが全然堪え性がない。
昔はこうだったんだよと、両親やベテラン教師に言われると辟易として、自分はそうなるまいと思っても実際やはり、同じことを、生徒に言っている自分がいる。
怠けている。楽な方楽な方に逃げようとしている。臭いものにふたをして、目を背けようとしている。
いらいらするし、腹が立つし、なぜわかってくれないのだと、地団駄を踏む思いも度々だ。
でも、あの、有名な柔道家山下泰裕が以前言っていたのだが、自分は厳しく指導された。ナニクソ!の精神で歯を食いしばって頑張って、オリンピックでも金メダルをとれた。けれど、今考えてみると、自分は指導者からの叱咤激励に対し、耐えうる根性を持っていた。今、同じように今度は自分が弟子を指導しても、それについてこれる人間がごくわずかであることに愕然としたと。そして、学んだ。人は自分とは違うことをと。

私も、同じようなことを思う。負けるもんか、見返してやる。逃げるのはいやだ。
だから、私の思いにこたえられずやる気のない生徒には、本当に腹が立ち、根性なし!と罵倒したくなる。
けれど、なかには、本当にわからない子もいる。何度教えても問題の意味が理解できない。一つ覚えたら一つ忘れるの繰り返しの子供。はなから、やろうという気の起きない子。
となると、私は考える。 ああ、この子は普通科より工業科がいいかな。この子は、この高校には受からないな、一つか二つ下げた方がいいかなと。
最終的には高望みしても正直最大値、脳内のキャパシティーは、各自差があるのだから、それを認めてあげなければならない。やらばできると親は信じたい。私も信じたい。けれど、やればできるという考え方のレベルが本人のそれと違うなら、もう、そこは綺麗さっぱりと、切り替えねばならない。
成績の良さと、その子の人間性は違う。成績が良くても悪さをする人はたくさんいる。
有名大学に行っても殺人を犯す人だっているのだ。
ところが、何が何でもペーパーテストの点数こそがすべてだという凝り固まった偏見を捨てきれないと、こういった悲劇を招いてしまう。
子どもは親の所有物ではない。
子どもには子供の人格がある。
ところが、親の中には、こどもの出来不出来がそのまま自分の出来不出来に関わってくると思い込む人もいるらしい。
「まったく、うちの子ったら、何回言っても勉強しないわ。でも、知ったこっちゃないわ。私は私。子供はこどもで、別個の人間なんだもん。とにかく、人様に迷惑はかけないこと。思いやりの気持ちを持つこと。ある程度の一般常識、生活習慣さえ身に着ければそれでいいわ」と、考えられる親になれば、こんな悲劇は生まれなくなるだろうと思う。

プロゼミ 小川

子どもの日

 


子どもの日
今年は10連休。
令和の時代が始まる。

毎年日本の出生率は低下の一途をたどっている。
その反面世界各国では出生率こそ増加しているが平均寿命は延びることのない貧しい国もたくさん存在している。
私はなぜだか最近TVなどでその子供達のいたいけな姿を目にすると、とても心の痛みを覚える。昔から、その痛みを持ち合わせてはいたが、だからといってその子供たちの為になにがしかの寄付をしようなどとは、思いもしなかった。それどころか、こっちが寄付してほしいくらいだと、どこか醒めていた。
けれど、今は違う。
昔よりも確実に収入は減っているのに、何かしてあげたいというう気持ちに突き動かされる。
だから、わずかではあるが、国境なき医師団とユニセフに毎月寄付をすることにした。

自分の心境の変化の一因は、今の塾生(いや、日本の大半の若者たちにも言えること)にあるような気がする。
刹那的と言おうか、他人のことには無関心すぎると言おうか、表情に乏しい子も多い。
弱いものに対する慈しみの眼差しも持っていないが、強いものへの反骨心、闘争心も、何もない気がする。
そして、そういうこととは裏腹に必死で生きようとしている子供達や、学校に行きたくても行けない子供達、食事もろくに出来ない子供たちを見ていると、いてもたってもいられなくなり、少しでも寄付をしたいという思いに至った。
なんだか罪悪感さえ覚えてしまったのだ。
電車に腰を下ろすと一斉にスマホ。
コンビニやファストフードで買った軽食をむさぼりながら目の前にお年寄りが立っていてもお構いなしに、友人たちと馬鹿笑いしながらスマホをいじり続ける。
多分、そのことの何がいけないのかもわからないだろうし、言ったところで理解もできないだろう。
だからこそ、私は、尚更身につまされる。この子たちと両極端にある子供たちを微力ながらも助けてあげなければと。

子どもの日。
世界中の子供たちに幸せになって欲しい。普通に食事して、普通に学校に行き、病に侵された時は病院に通える。そんな当たり前のことを当たり前に出来るようになってほしい。そして、この当たり前を当たり前とも思わない、今の子供達がいつかは、そのことに感謝して、そして、自分達も及ばずながら困っている人々を助けてあげたいと思うことができるような大人に成長して欲しい。
叶わぬ願いだろうか?
でもそれでは、あまりにも悲しすぎる。
みんなを信じたい。

プロゼミ 小川

詐欺の子

 


最近NHKで実話をもとにしたドラマが放送された。
オレオレ詐欺に加担した、少年たちの証言をもとに構成されていた。
所謂、受け子と呼ばれる役をやらされていた、いや、やっていた人間の中には、中学生の男の子もいた。
気楽にお小遣い稼ぎができることに魅力を感じたのか?
そうではないようだった。考えてみると、オレオレ詐欺は一人ではできない。そこに、必ず仲間がいる。その子は、そういう仲間たちと一緒にいること、そのものが楽しくてしようがなかったと言う。
その子の家は、共稼ぎか、あるいは、母子家庭か、定かではないが、家に帰ると妹はテレビゲームに夢中。テーブルの上には母親からの置手紙。
「焼き肉ピラフあるから、食べてなさい」母親が働きに行く前に作ってくれているのか?
いや、何のことはない。冷凍庫にぎっしりと詰まっているピラフを電子レンジでチンするだけだ。その子は、詐欺仲間たちと買ったスナック菓子や飲み物をワイワイガヤガヤ言いながら食べる方が楽しくてたまらない。さみしさを埋められるからか。
ただ、我が子を思いよろしくお願いしますと頭を下げる老母に対し、徐々に罪悪感を募らせていく。そして、自ら警察に捕まるべくわざと、ドジを踏む。そして、芋づる式にほかの仲間も捕まっていく。
一人の青年は弁護士に冷めた口調で言う。親に虐待されたのか?に対する答えだ。暴力よりも辛かったすよ。先生、お前はランドセルが似合わないなんていう親います?
ドラマの構成上、現実に罪を犯した人の証言やインタビューも途中で入るので、きちんとした脚本はないから、問われた弁護士が無言のまま、その場面は終わる。
また、別の捕まった青年は、家が貧しく詐欺を働いて得たお金はそっくり、母親に仕送りする。あまりにもの大金に母は訝しさを覚え、一円たりともお金には手を付けなかった。
そして、テレビのニュースで息子の友人が捕まったことを知り、自分の息子も仲間だということを確信する。母親は詫びる。貧乏な家に生まれた我が子に何もしてあげられなかったと。そして、返して来いと貯金通帳を渡す。息子は、警察に出頭して、裁判が始まる。検事から詰め寄られる。あなたは、自分の境遇を不幸だと思っているかもしれない。
けれど、あなたと同じような境遇の人がみんな犯罪者になっていますか?
そうではないでしょう? 辛い境遇の中、貧しい中、みんな必死で努力して頑張っているんですよ。そして、真っ当な職に就いているんですと。
息子は言う。「うるせえよ。みんながみんなそうじゃないんだよ。やらなきゃと思ってもできないやつもいるんだよ」と。
検事は、「は?」と小馬鹿にした感じで言うと、またもや同じことを続ける。
考えれば、検事や弁護士になる人たちである。優秀であったに違いない。貧しくとも十分奨学金ももらえ学問も続けられてきたはずだし、努力も惜しまなかっただろう。
だからこそのごもっともな意見なのだ。きっと、犯罪に手を染める若者の気持ちなど分かるはずもないだろう。
私は、涙が出てしょうがなかった。
私も同じことを生徒たちに言っている気がしてならない。
なぜ、宿題をやってこない。なぜ、頑張って問題を解こうとしない。もっと、努力をしなさい。小学校で習ったでしょうと。
言われた生徒は何も言えずただうつむいているだけ。或いは、泣きそうな顔で訴えかける。
「先生、聞いても分からないんです。だから、授業でもさっぱり何を言われているかわからなくて」と。
頭の中で筋道を立てながら問題を解く。実際条件をノートに書いてみて、それをもとに思考する。こちらにとってはそれが至極当然のことであっても、やはり偏差値の低い人はそれができずにいるのではないか。偏差値は努力次第でいくらでも上がるは幻想なのかもしれないとも思う。
塾を経営しているのだから、生徒たちの成績を上げることが使命には違いないが、今回のドラマを見て考えさせられた。
みんながみんなじゃないんだよ、やりたくてもやれなくて、どうしようもなくて……

新学期がまた始まる。少しこれまでとは目線を変えて生徒たちに接してみようと思う。
そして、ほんの少しのことにも「頑張っているね」と声掛けをしてあげようと、今の段階では決めている。
どうなることやら(笑)

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