塾のこと、介護のこと。

プログレスゼミナール

教育虐待

 

最近、父親が、小6の我が子を刺殺したという、事件があった。
私立中受験に向けて自宅で父親が勉強を教えていたのだが、なかなか成績が伸びない。
勉強量も足らない。厳しく厳しく何が何でも名門私立中に合格させるべく、これだけ教えているのに自分の思い通りの成果を出せない息子に、父親は絶望し、腹も立て、刃を向けてしまった。
そのニュースの後にも同じような理由で、我が子を引きこもりにしてしまった父親がいるという話も聞いた。

こういったことは昔からあったとは思う。親や教師が、教育・しつけの一環として体罰をふるっても認められてきた時代だ。その時代に生きてきた両親に育てられてきた子供が今度は親となり、同じように我が子に接する。ごく、自然の成り行きだ。自分もそのように教えられしつけをうけ、いい学校、いい会社に行ったのだ。だから、我が子にもそうなって欲しい。そうなるべきだ。いや、そうなるに決まっているという、強い思い込み。
しかしながら、今の子供は塾で指導していても思うのだが全然堪え性がない。
昔はこうだったんだよと、両親やベテラン教師に言われると辟易として、自分はそうなるまいと思っても実際やはり、同じことを、生徒に言っている自分がいる。
怠けている。楽な方楽な方に逃げようとしている。臭いものにふたをして、目を背けようとしている。
いらいらするし、腹が立つし、なぜわかってくれないのだと、地団駄を踏む思いも度々だ。
でも、あの、有名な柔道家山下泰裕が以前言っていたのだが、自分は厳しく指導された。ナニクソ!の精神で歯を食いしばって頑張って、オリンピックでも金メダルをとれた。けれど、今考えてみると、自分は指導者からの叱咤激励に対し、耐えうる根性を持っていた。今、同じように今度は自分が弟子を指導しても、それについてこれる人間がごくわずかであることに愕然としたと。そして、学んだ。人は自分とは違うことをと。

私も、同じようなことを思う。負けるもんか、見返してやる。逃げるのはいやだ。
だから、私の思いにこたえられずやる気のない生徒には、本当に腹が立ち、根性なし!と罵倒したくなる。
けれど、なかには、本当にわからない子もいる。何度教えても問題の意味が理解できない。一つ覚えたら一つ忘れるの繰り返しの子供。はなから、やろうという気の起きない子。
となると、私は考える。 ああ、この子は普通科より工業科がいいかな。この子は、この高校には受からないな、一つか二つ下げた方がいいかなと。
最終的には高望みしても正直最大値、脳内のキャパシティーは、各自差があるのだから、それを認めてあげなければならない。やらばできると親は信じたい。私も信じたい。けれど、やればできるという考え方のレベルが本人のそれと違うなら、もう、そこは綺麗さっぱりと、切り替えねばならない。
成績の良さと、その子の人間性は違う。成績が良くても悪さをする人はたくさんいる。
有名大学に行っても殺人を犯す人だっているのだ。
ところが、何が何でもペーパーテストの点数こそがすべてだという凝り固まった偏見を捨てきれないと、こういった悲劇を招いてしまう。
子どもは親の所有物ではない。
子どもには子供の人格がある。
ところが、親の中には、こどもの出来不出来がそのまま自分の出来不出来に関わってくると思い込む人もいるらしい。
「まったく、うちの子ったら、何回言っても勉強しないわ。でも、知ったこっちゃないわ。私は私。子供はこどもで、別個の人間なんだもん。とにかく、人様に迷惑はかけないこと。思いやりの気持ちを持つこと。ある程度の一般常識、生活習慣さえ身に着ければそれでいいわ」と、考えられる親になれば、こんな悲劇は生まれなくなるだろうと思う。

プロゼミ 小川

子どもの日

 

子どもの日
今年は10連休。
令和の時代が始まる。

毎年日本の出生率は低下の一途をたどっている。
その反面世界各国では出生率こそ増加しているが平均寿命は延びることのない貧しい国もたくさん存在している。
私はなぜだか最近TVなどでその子供達のいたいけな姿を目にすると、とても心の痛みを覚える。昔から、その痛みを持ち合わせてはいたが、だからといってその子供たちの為になにがしかの寄付をしようなどとは、思いもしなかった。それどころか、こっちが寄付してほしいくらいだと、どこか醒めていた。
けれど、今は違う。
昔よりも確実に収入は減っているのに、何かしてあげたいというう気持ちに突き動かされる。
だから、わずかではあるが、国境なき医師団とユニセフに毎月寄付をすることにした。

自分の心境の変化の一因は、今の塾生(いや、日本の大半の若者たちにも言えること)にあるような気がする。
刹那的と言おうか、他人のことには無関心すぎると言おうか、表情に乏しい子も多い。
弱いものに対する慈しみの眼差しも持っていないが、強いものへの反骨心、闘争心も、何もない気がする。
そして、そういうこととは裏腹に必死で生きようとしている子供達や、学校に行きたくても行けない子供達、食事もろくに出来ない子供たちを見ていると、いてもたってもいられなくなり、少しでも寄付をしたいという思いに至った。
なんだか罪悪感さえ覚えてしまったのだ。
電車に腰を下ろすと一斉にスマホ。
コンビニやファストフードで買った軽食をむさぼりながら目の前にお年寄りが立っていてもお構いなしに、友人たちと馬鹿笑いしながらスマホをいじり続ける。
多分、そのことの何がいけないのかもわからないだろうし、言ったところで理解もできないだろう。
だからこそ、私は、尚更身につまされる。この子たちと両極端にある子供たちを微力ながらも助けてあげなければと。

子どもの日。
世界中の子供たちに幸せになって欲しい。普通に食事して、普通に学校に行き、病に侵された時は病院に通える。そんな当たり前のことを当たり前に出来るようになってほしい。そして、この当たり前を当たり前とも思わない、今の子供達がいつかは、そのことに感謝して、そして、自分達も及ばずながら困っている人々を助けてあげたいと思うことができるような大人に成長して欲しい。
叶わぬ願いだろうか?
でもそれでは、あまりにも悲しすぎる。
みんなを信じたい。

プロゼミ 小川

詐欺の子

 

最近NHKで実話をもとにしたドラマが放送された。
オレオレ詐欺に加担した、少年たちの証言をもとに構成されていた。
所謂、受け子と呼ばれる役をやらされていた、いや、やっていた人間の中には、中学生の男の子もいた。
気楽にお小遣い稼ぎができることに魅力を感じたのか?
そうではないようだった。考えてみると、オレオレ詐欺は一人ではできない。そこに、必ず仲間がいる。その子は、そういう仲間たちと一緒にいること、そのものが楽しくてしようがなかったと言う。
その子の家は、共稼ぎか、あるいは、母子家庭か、定かではないが、家に帰ると妹はテレビゲームに夢中。テーブルの上には母親からの置手紙。
「焼き肉ピラフあるから、食べてなさい」母親が働きに行く前に作ってくれているのか?
いや、何のことはない。冷凍庫にぎっしりと詰まっているピラフを電子レンジでチンするだけだ。その子は、詐欺仲間たちと買ったスナック菓子や飲み物をワイワイガヤガヤ言いながら食べる方が楽しくてたまらない。さみしさを埋められるからか。
ただ、我が子を思いよろしくお願いしますと頭を下げる老母に対し、徐々に罪悪感を募らせていく。そして、自ら警察に捕まるべくわざと、ドジを踏む。そして、芋づる式にほかの仲間も捕まっていく。
一人の青年は弁護士に冷めた口調で言う。親に虐待されたのか?に対する答えだ。暴力よりも辛かったすよ。先生、お前はランドセルが似合わないなんていう親います?
ドラマの構成上、現実に罪を犯した人の証言やインタビューも途中で入るので、きちんとした脚本はないから、問われた弁護士が無言のまま、その場面は終わる。
また、別の捕まった青年は、家が貧しく詐欺を働いて得たお金はそっくり、母親に仕送りする。あまりにもの大金に母は訝しさを覚え、一円たりともお金には手を付けなかった。
そして、テレビのニュースで息子の友人が捕まったことを知り、自分の息子も仲間だということを確信する。母親は詫びる。貧乏な家に生まれた我が子に何もしてあげられなかったと。そして、返して来いと貯金通帳を渡す。息子は、警察に出頭して、裁判が始まる。検事から詰め寄られる。あなたは、自分の境遇を不幸だと思っているかもしれない。
けれど、あなたと同じような境遇の人がみんな犯罪者になっていますか?
そうではないでしょう? 辛い境遇の中、貧しい中、みんな必死で努力して頑張っているんですよ。そして、真っ当な職に就いているんですと。
息子は言う。「うるせえよ。みんながみんなそうじゃないんだよ。やらなきゃと思ってもできないやつもいるんだよ」と。
検事は、「は?」と小馬鹿にした感じで言うと、またもや同じことを続ける。
考えれば、検事や弁護士になる人たちである。優秀であったに違いない。貧しくとも十分奨学金ももらえ学問も続けられてきたはずだし、努力も惜しまなかっただろう。
だからこそのごもっともな意見なのだ。きっと、犯罪に手を染める若者の気持ちなど分かるはずもないだろう。
私は、涙が出てしょうがなかった。
私も同じことを生徒たちに言っている気がしてならない。
なぜ、宿題をやってこない。なぜ、頑張って問題を解こうとしない。もっと、努力をしなさい。小学校で習ったでしょうと。
言われた生徒は何も言えずただうつむいているだけ。或いは、泣きそうな顔で訴えかける。
「先生、聞いても分からないんです。だから、授業でもさっぱり何を言われているかわからなくて」と。
頭の中で筋道を立てながら問題を解く。実際条件をノートに書いてみて、それをもとに思考する。こちらにとってはそれが至極当然のことであっても、やはり偏差値の低い人はそれができずにいるのではないか。偏差値は努力次第でいくらでも上がるは幻想なのかもしれないとも思う。
塾を経営しているのだから、生徒たちの成績を上げることが使命には違いないが、今回のドラマを見て考えさせられた。
みんながみんなじゃないんだよ、やりたくてもやれなくて、どうしようもなくて……

新学期がまた始まる。少しこれまでとは目線を変えて生徒たちに接してみようと思う。
そして、ほんの少しのことにも「頑張っているね」と声掛けをしてあげようと、今の段階では決めている。
どうなることやら(笑)

類は友を呼ぶ

 

「類は友を呼ぶ」
私の好きなTV番組に「あいつ、今何してる?」という番組がある。
有名人たちのかつての友人の今を追跡する番組だ。
そして、時折有名学校を卒業した人たち(芸能人ではなくあくまで素人さん)の現在が放送される回もある。
最近は福岡県下TOP高修猷館高校の卒業生の今を追跡していた。
修猷館と言えば偏差値70越え。福岡市では、福岡高校・筑紫丘高校と共に御三家と言われている。北九州を入れれば東筑。この高校はまさに文武両道。甲子園にも何度も出場しており、また、名優高倉健さんの母校としても知られている。ちなみに私の姪も東筑。
ここで、姪の話を出すにはまあ、理由があります。

さて、話を戻そう。
その修猷館で長年教鞭をとっておられる先生が、一人の学生の名をあげました。
天才だった。円周率は確か300桁まで覚えていましたと。
番組がその学生の現在を追跡した結果、アメリカ在住。NASA勤務だった。
ゲストたちは一様に「はあ!すげえ~」と感嘆の声をあげていた。
彼は幼い頃からとても数字に興味があったらしく、幼稚園の頃は、友達と、倍数をどこまで言えるか競走したという。
2・4・6……とずっと続けて4桁か5桁まで行った記憶があると。
そして、その友達は現在は外科医らしい。
「はあ、やっぱりね~」と、またもやゲストが感心する。
まさに類は友を呼ぶである。
私がこの話を中学生にしたら、「ナ、ナサ?」とA君。
「πで十分」と、B君。
「倍数言えたら外科医になれるんですか?」とCさん。
「そんな遊び全然おもしろくない」とDさん。
もう、返す言葉がなかった。つまり、その、知的好奇心が後の人生に役立つのだということを私が言いたいのだということに彼らは考えが及ばない。
まあ、一人の生徒はそれでもNASAを知っていたから、少しは安心したのだけれども。

さて、ここで、東筑の話を。
昨年私は脳腫瘍摘出術を受けるべく、日赤に入院した。
私のいとこは、それこそ、修猷館卒業後九大医学部に進み、今は開業医となっている。
両親の入院の時などは色々相談に乗ってもらっていたが、今回は私自身。
すると、脳外科に知り合いはいないけれど、日赤の院長は九大で同期だった。一応よろしく頼むと電話しておくよと言ってくれた。
院長は、わざわざ私のベッドに来てくれて、腕のいい先生が執刀してくれるから安心してくださいと、おっしゃった。で、いとこが、もしかしたら姪家族が北九州に住んでいることを事前に話していたのかもしれない。「私は、東筑なんですよ」と院長の方から話された。
「そうですか! 私の姪も東筑なんですよ」と、私。なんでも北九州には、腐っても鯛ならぬ腐っても東筑という言葉があるらしい。
また、私のリハビリを担当してくれた男性は我が母校福岡中央出身だった。「先輩!患者さんで僕初めて先輩に会いました!」と、声が弾んでいました。
見ず知らずの人間同士が卒業した高校が同じということでこんなにも距離が縮まり、お互いを認め合いお互いの母校に誇りを持てるということは、とても素晴らしいこと。

朱に交われば赤くなるという言葉もある。
教養を身に着け知的好奇心を持ち合わせている友人がいれば、自然と自分自身も成長していくかもしれない。
しかし、テスト前に部活もないし、どこか遊びに行こうぜと、勉強そっちのけで外出したり、アイドルの話で盛り上がったり、スマホで夜遅くまで音楽聞いたりして、それを楽しいと感じてしまう友達関係では、そこに何の生産性もない。
それに、いち早く気づくのは誰だろう?
一人でも、気づく人が現れれば、そうか、そうだよな、今、自分たちがすべきことは、こんなことではないはずだと、後を追う生徒も出てきてくれるかもしれない。
いい意味での、類は友を呼ぶ・朱に交われば赤くなるという諺を私が使える日が来るかもしれないと、淡い期待を抱こう(笑)

プロゼミ 小川

合唱コンといまどきの家庭環境

 

毎年11月は、中学校では合唱コンクールが開催される。
10年ほど前までは、生徒たちが一丸となり、朝練などを行い、その後は焼き肉店やカラオケで打ち上げというのが定番だった。
打ち上げの日が塾の日と重なるときは、私と生徒たちの攻防が始まる。結局私が折れてしまうのだが。
中3などは、まさに追い込みの時期ではあるが、みんなで頑張ったという達成感を打ち上げで味わいたい気持ちはわからないでもないから。
しかし、最近の生徒たちは違う。
とにかく醒めている。
前回のブログで書いた動物園状態のクラスでは殆どの人が練習に参加しないらしい。個人主義というよりエゴ、つまり身勝手さが蔓延している。
みんなと協力する気持ち、大切さなどが、段々わからなくなってきている。
自分さえよければ、他人はどうなってもいいという人間が多くなっている。

それは、家庭においても昔に比べ個人主義が目立ち始めていることに要因の一つがあるようだ。
一緒に食卓を囲まない。一家で何かをするわけでなく、個々が自分のやりたいことに没頭する。一昔前の一家団欒などがなく、家族間も希薄になっているようだ。
ただ、今は、共稼ぎの家庭が多い。十分な家計であるのに、母親が働いているという家庭はごく少数だろう。やはり、生活のために夫婦とも働かなくてはいけない家庭が大半を占めていると思う。
また、子供が中学になり部活にでも入ろうものなら、休日も一緒には過ごせないことが多くなる。平日でも自宅に帰りつくのは7時過ぎることもある。そして塾に行けば、持ちたくても親子の会話、一家団欒も必然的に無理。だから、仕方なく個人で行動しなければならないことも否めない。とにかく、世知辛い世の中だ。
また、以前では考えられないことだが、中3の社会公民で、日本の年中行事を習う。
なにゆえ、学校で習うのか?
つまり、お正月だから、ひな祭りだから、端午の節句だから、だから、何かするの?
それがどうした?という感じなので、子供たちが何も家庭で学ばなくなってきているようなのだ。
ある生徒は、おぞうに? 何、それ? 象を食べると?と、まじめな顔で尋ねてきた。
その親御さんは、私お雑煮きらいですからとおっしゃった。それは、それで構わないと思う。けれど、そのこととは別に日本古来の伝統文化は伝えていかねばならないのではないだろうか?
だからこそ、国もわざわざ義務教育の中で教えようと躍起になっているのだ。
今は、本来の意味もわからないままに、ハロウィーンなどでバカ騒ぎする若者が増えている。ゴミも散らかしっぱなし。人や物に危害を与える。当然のモラル、ルールがなぜここまで守られないのか? きっと、幼いころから、人に迷惑をかけないことや、公衆道徳は守らなければならないことなどを、家庭でしつけてもらっていないのだろう。情けない限りである。
また、西洋文化の方が地位が上だという誤解もあるのではないか?
しかし、海外に留学すると、まず日本の文化について、海外の人はたくさん聞いてくるらしい。中には、日本人より日本の文化や歴史に詳しく、当の日本人がしどろもどろになって、返答に困ることもあるとか。
我々の世代が考える一般常識が、ことごとく最近は覆されるので、こちらも変わらなければいけないのかとも思う。だが、決して迎合してはいけない。
人として何が大切かの中身が時代で変わるはずはない。
古臭いと言われても、ウザがられても、人の道は説いていかねばならないと思う次第である。

プロゼミ 小川

パワハラと動物園

 

最近パワハラのニュースが後を絶たない。
知り合いの塾の先生が、自分達も気をつけておかないと、いつ訴えられるかわからんよと、冗談交じりに言っていた。
よく、コメンテーターがこう言う。
「昔は良かったけれど、今、それをやったらアウトだ」と。
そのコメントはおかしくないかと、私はいつも思う。
昔だろうが今だろうがダメなものはダメ。それを踏まえたうえで最近の事例を考えてみる。
ここまで書くとさぞかしパワハラへの非難の意見のオンパレードと思う人もいるかもしれないけれど、その逆。
例えば、「俺に挨拶もなかった」と言われた。普通何かの団体に所属していて、そこの長たる人がいれば、まず一番に挨拶をするのは当然、すべきである。威圧的に言ったかどうかとか、人により方言やアクセントの違いもあるだろうから、いちいちあげつらう必要はないと、私は思う。
私は生徒に対しかなり強くものを言う。泣いた人も多数。でも、間違ったことは絶対言っていないし、優しい言葉で諭すように言っても一向に悔い改めないから強い口調になる。
そもそも、社会に出れば、色々な人間に出会う。
社会に出るまでは蝶よ花よと育てられ、周囲にも穏やかで優しい人達に囲まれて育ったとする。ところがどっこい、世のなか甘くない。そこで、言葉の暴力も受けることもあるだろう。仕事をミスして殴られることもあるかもしれない。いくら、世間が取り上げても日本国民全員が、はい、わかりました、パワハラは致しません、暴力を振るいませんなどということは、100%ない。だから、打たれ強くならないといけない。
高校時代、クラスの男子の殆どが授業をさぼり、ボーリングをしていたことがあった。運悪く、よそのクラスの担任に見つかった。
翌日、担任が数名の男子の名前を呼び前に出ろと言った。みんな、彼らがボーリングに行っていた人達だとわかっていた。担任は横一列に彼らを並ばせると片っ端から、出席簿でビンタしていった。その間一言も言葉は発していない。彼らもただ、ぶたれていた。
息を呑みながら見ていた私達も何も言わなかった。誰一人体罰などと思っていない。
彼らがもし家で保護者に言ったとしても多分お前が悪いとしか言わないと思う。私が親なら絶対そうだ。ところが、ここで昔はそうでも、などと言って、怒鳴り込む親が現在は出てくる可能性もある。言葉で諭してもよかったのではないかと。だが、そんな生ぬるいことではだめだと私は思う。甘やかすんじゃないと、声を大にして言いたい。
そんな風だから、動物園になる。
動物園? 以前も書いたかもしれないが、今年、中1になった生徒のクラスの事だ。
先生は三人教室にいるそうだ。授業中に鬼ごっこなどは日常茶飯事らしい。とにかく、動物たちが規律など無視して騒ぎまくっているようなクラスらしい。
担任は新卒の女性。私が、「で、すぐ、泣くんやろ?」と聞くと、うんと頷く。
最近の先生は、生徒が言うことを聞かないとすぐに泣いたり、教室を飛び出すらしい。
それでもプロかと、私は言いたい。
体罰禁止・パワハラ禁止、保護者は、教育員会に訴えると脅す。これでは、生徒はつけあがる、そして、その生徒が親になり、子を育てる。また、同じことが起こる可能性はある。
担任は、当然成績優秀で、偏差値の高い学校、家庭にも友人にも恵まれて育ってきているはずである。希望に胸膨らませ生徒との温かい触れ合いも期待して先生になったと思う。
でも、残念ながら、彼女は知らなかった。世のなかそんなに甘くない。みんながみんな自分達と同じ考え常識を持っていると幻想を抱いていただけに過ぎない。
夢破れた彼女、こんなはずではなかったと、毎日が地獄のような日々だろう。子どもの時、性悪な友人に出会っていたら却ってよかっただろうが。
先日新聞にある女性がパワハラを受け、鬱病になったと、パワハラの相手を訴えたという記事が載っていた。どんなパワハラを受けたかの一つに、自分の名前をちゃん付けで呼んだと。 はあ~~~?である。何それ?
とんとん拍子の出世街道を歩いてきたのだろう、だから、たかが、ちゃん付けさえもパワハラと思ったのか?
よく、相手がパワハラと思えば、それはパワハラに認定されるらしいが、それにしても、首を傾げてしまう。
例の動物園のようなクラスにいる女子にその話をすると、「メンタルが弱すぎるったい」と、一刀両断。今、巷で使われているものとは、違う意味でMe too.である。
私も今考えれば、ありとあらゆるセクハラ・パワハラを受けてきたと思う。
飲み会などで抱き着かれたり、回し飲みの共用。また、私は左利きなのだが、左利きは日本を滅ぼすとまで言われたこともある。気持ちも悪かった。腹も立った。でも、だからと言って、セクハラ・パワハラと騒ぎ立てたりしなかった。
性格的なものもあるだろうが、とかく、最近異常なくらいに騒ぎすぎだなと、私は思う。
中学生男子にちゃん付けしたり、小学生にも、抱っこしてあげようかと言っている私だが、それもセクハラか? 反対にライザップに行け。デブとか私言われてますが、それもまたセクハラか?
本当の意味でのパワハラは、「お前は馬鹿か!生きる価値なんかねえよ。死んでしまえ!」みたいな暴言や、セクハラは、いくら酒の席でも服の中に手を入れて胸を揉みしだくとか、そんなことじゃないかなと思う。
人を思い遣る気持ちと、少々のことを言われてもめげないメンタルの強さを持つこと、それが現在社会を生き抜くうえで大事なことだと、私は思う。

プロゼミ 小川

道徳の教育化

 

道徳の教科化が始まるが、評価するのは難しくないだろうか。

広島長崎に原爆が投下された時の紙芝居を先生が見せてくれたと、小学生。
前列の人は、全員机に突っ伏して寝てたと言う。自分は必死で眠いのを我慢したと。
紙芝居を読む先生も、その親世代も戦争を知らない。
紙芝居を読むのも、カリキュラム通りのことだから、読んだまで。
感受性豊かな先生ならまだしも多分ただ、淡々と読んだのだと思う。子供の心に響くはずがない。紙芝居がどうのこうのではなく、眠らなかったすごいでしょうと、的外れなのだ。
そして、どちらも責めることは出来ない。

もう今はそういう辛いこと悲惨なこと悲しいことを聞いて相手の立場を思いやれる人の方が少ないのではないだろうか。
原爆は、こんなに悲惨だったのよと言っても、無駄。
私の父の兄は沖縄で戦死した。沖縄旅行の際平和の礎に行った。父は兄の名をそこに認めて涙が出たと言った。
だがどうだろう?今はただ、レクレーション感覚、ただの観光旅行でしか訪れない家庭が大半ではなかろうか。それでも、道徳の教育化が始まるとなると、たとえ、行かずともパンフレットかネットで資料を集め、戦争は絶対いけないと思いますくらい、平気で書ける子が続出すると思う。
もし、内申にも響くとなれば、ボランテイアなど、金にならないことは、せん!と豪語している生徒も、みんなのためにボランテイアなど、やっていきたいとか、もし、困っている人がいたら力になりたいとか、いじめは根絶するべきだと、いじめをしている張本人まで書くことは考えられる。

福岡県高校入試問題の作文で実際に出た、課題作文。あなたが最近他人のためにしてあげて喜ばれたことを書きなさい。
みんなパニックになったそうです。そんなことした人の方が少ないと思う。機会に恵まれることの方が少ない。
バスで席を譲った、目の不自由な人の手を引いて信号渡ったとか、もう、みんな」必死で嘘を書いたとか。
私は、それでいいとよ、嘘かくしかないやんと言いました。

そもそも、道徳は学校が教えるものではない。家庭の役割。幼い頃から善悪の区別、人への思いやり、礼節などは、既に家庭で学んだうえで、学校に上がるべき。
核家族化したことも原因の一つかもしれない。きちんとしつけをできる年長者が少なくなった。また、スマホの普及による影響。一方通行、コミュニケーション不足、数え上げたらきりがない。せめて、塾の中では、礼儀をわきまえ、人への想いやりなども育ててあげたいと、日夜奮闘するが、どこ吹く風の生徒や、保護者に煙たがられることも度々。

友人が自分たちの時の常識は通用しないよという。世知辛い世の中になった。だから、文科省もこれは、国が乗り出して道徳心を養わなくてはならないと思ったのかもしれない。そこには、確かに共感するものはある。

プロゼミ 小川

欲望を伴わない勉強は記憶を損ない記憶を保存しない

 

「欲望を伴わない勉強は記憶を損ない記憶を保存しない」
この言葉はダーウィンの言葉です。けだし名言。

この時期には、新聞に夏期講習募集チラシが山のように入っています。連日。
どの塾よりも安価な設定。偏差値40の生徒が一気に60に。あるいは、30点のテストが期末では90点に等々。いずれも塾の成果を謳っています。
けれど、私は知っています。
どの塾より安価と謳っている塾生が転塾して言いました。夏期講習20万超えますからやめましたと。
「えっ、お安いと書いてあるじゃないの」
「基本は、です、あくまで。私は、これもこれもと補講を組み込まれてトータル20万超えです」
あら、まあと私。すごいからくり。
「成績が上がらないので」
「でも偏差値40が一気に60って書いてありましたよ」
「うちの子一学期の通知表。1と2しかありませんでした」
あら、まあとまたまた私。

他塾の悪口を言っているのではありません。なぜ、補講が増えるか。そうしないと、学力がつかないから。なぜ、1,2だらけか? 単に勉強不足。

よく、うちの塾の生徒の成績がどんどん上がっているからと、大手塾をやめ転塾してくる人がいます。私は、いつも言います。
私の指導がいいわけではないですよ。本人の努力次第ですよと。
大手塾が合格速報だしますよね?  レベル高い高校にたくさん合格しています。けれど多分もともとやる気のある子ではなかったかと思います。
時折電車の沿線に位置している大手塾の窓越しに勉強している生徒たちの姿を電車の中から目にします。一斉授業。下を向いている人は一人もいません。真剣な顔をして全員黒板の方を見ています。先生の話を聞いています。意識が高いのです。

現在私の塾は完全に二極化しています。一人の生徒に説明をします。今、先生が何を言ったか言ってごらんと、聞くと、答えられません。何一つ聞いていませんでした。
うんうんと頷いていたのにですよ。
もちろんテストの点数は芳しくありませんでした。
もう一人の生徒はそれはそれは熱心に食い入るように私の顔を見つめて話を聞いていました。とても、すばらしい成績をテストでおさめました。
ですから、関係ないんです。本人次第。
高い塾から移ってきた生徒は、私の塾に来てからは一生懸命勉強して、第一志望の高校に合格しました。1,2の子はオール3になり、この生徒も第一志望の高校に入りました。
もちろん個人差がありますから、決して偏差値がたかいこうこうだったわけではありません。だけど、自分の分をわきまえかつ、志望校がそこに到達しないとみたら、頑張って努力して、合格にこぎつけた。素晴らしいことです。

これから、塾に行こうと思っているお友達。
あまりチラシの文言に惑わされず、本当に自分にあった塾を選んでくださいね。
とどのつまり、どの塾もやっていることは、変わりません。
相性が一番かな。
いつも、プンプン私が怒っているので、いやで、やめてしまう人もたくさんいるし、私、怖いけど大丈夫ですか?と前置きしていう私に笑いながら、全然平気ですと、お子様を通わせる保護者もいらっしゃいます。
捨てる神あれば拾う神ありですかね?
いや、ちょっと違うか?(>_<)

プログレスゼミナール 小川

拉致と決断

 

最近教材を買うために書店に行ったら、蓮池薫さんの著書「拉致と決断」に目が留まった。
著者紹介の欄を見ると今までに結構多くの著書がある。少しも知らなかった。
今回目に留まったのは、書店がみんなの目に留まるべく場所に山積みにしていたからである。
商魂たくましいと言おうか、今、まさに米朝会談が史上初で行われようとしており、いまだ救出されていない拉致被害者の存在が改めてクローズアップされたからに他ならない。
しかし、その、おかげで、過酷な北朝鮮での暮らしぶりが手に取るようにわかった。
どんな有識者が語るより実際拉致され、何十年も北で暮らした張本人の語る内容にかなうものはない。

少し、話はずれるが、北野武はせっかく大学に合格したのに、殆ど大学にもいかず、また、一人暮らししていたアパートの家賃も払わず、しばらくぐうたらな生活をしていた。
しかし、アパートを追い出されることもなく、大学も退学にはならなかった。
それは、貧しい生活の中、母親が必死で工面して学費も家賃も滞ることなく払い続けていたからである。
実は、蓮池薫さんも中央大学法学部に在籍中に拉致されたが、お父さんが学費をずっと払い続けていたことを以前何かの報道で知った。蓮池薫さんは帰国後復学し無事卒業したとのこと。
当時、拉致されたかどうかもわからない。ただ、消息が途絶えたという事実のみはあった。
きっと、いつかは再び帰ってくるであろうと信じ、学費を払い続けた親の愛情が手に取るようにわかるエピソードだ。

この、拉致と決断の中にもひしひしと親の愛情が伝わる箇所が至る所にあった。
北朝鮮は、資本主義の国ではない。よって、日本の戦時中のように、食料品も含め生活必需品は全て配給だ。しかも、経済制裁などを受けると配給の量は減らされる。
蓮池さんも相当苦しい生活を強いられたようだ。しかし、それでも、一般の北の人に比べれば十分の食糧が配られていたという。何か有事の際の切り札にしたかったのか、人質は生かしておかないといけなかったのかもしれない。
しかし、子供さんが寮生活を始めるころ自分たちにはある程度食料はあるが、寮ではそれほどふんだんに食べ物はなかったらしい。
だから、自分たちの肉や魚をできるだけ食べずに節約・保存し帰宅した際食べさせてやったらしい。育ち盛りの子供たちは栄養が足らず15、6歳でも12、3歳くらいの身長しかない子供たちで溢れかえっていたとか。
蓮池さんは恐怖を抱く。うちの子供たちもそうなるのではないかと。考えぬいた挙句言った大豆を持たせたそうだ。重要なたんぱく源になる。
1日2回、5、6粒必ず食べろと念を押した。次の休みに身長が伸びてくれることを祈るばかりだったと書かれている。

私は、このくだりで、ほうっとため息をついた。
今の日本で考えられるだろうか。飽食という意味ではない。そこまで、真剣に今の親たちは、子供の栄養を考えること、つまり、カロリー計算したり、野菜と肉のバランスなどを考え料理をこしらえているだろうか。
今は共稼ぎが多いし、母親も忙しい。それこそ、塾に行く子が大半だ。部活が終わり、短い間に夕食をとらなければならない。手の込んだ料理などを作る暇も食べる暇もないのかもしれない。けれど、だからと言ってレトルトご飯を茶碗によそわずパックのまま食卓に出してみたり、全てが冷凍食品でまかなうのは愛情がない気がする。
中には野菜をまるっきり食べない子にサプリで栄養とればいいと肉だけふんだんに食べさせた結果肥満になった子もいると聞いた。
子供の将来を考えるのであれば、決して食生活をおざなりにしてはいけないと思う。
乏しい食料の中で自分たちが食べるものを減らし、ひたすら子供の成長を願い毎日コツコツと食料を残していった蓮池さんに頭が下がる。そして、恥ずかしい。
21世紀を担う人材を育てているのだという自負と責任を我々は自覚せねばならないと思う。

プロゼミ 小川

合格発表と確定申告と脳腫瘍

 


久しぶりの投稿になりました。
昨年度の中3は個人塾にしては大人数。とにかく忙しくて受験間際は大変でした。
ですから、一息ついてから更新するつもりにしていました。
けれど、実はもう一つ。キーボードで文字を打ち込むのが極端に難しくなり、一文字一文字打つのに時間もかかるし疲れる。だから尚更遠ざかってしまいました。そうこうするうちに、簡単な計算ができなくなる。漢字を思い出せない。頭痛がする。問題を解こうとすると頭がしめつけられ、電流が流れたかのように、ピリピリしびれる。
明らかに何かおかしいと感じ始めていました。
両親ともに認知症であることから、自分もそうなったのか、あるいは脳梗塞でもおきているのか、不安は募ります。
けれど、とにかく受験生を最後まできちんと指導すること、そして、公立高校の合格発表が終わるまでは、何としてでもの思いから、歯を食いしばって頑張りました。また、確定申告も書き上げねばと、電卓もうまく使えない中締め切り一日前までに仕上げました。
そして、合格発表の当日3月15日午前中まで待ち、全てが終わった段階で病院に行きました。
MRIを撮った結果は、脳腫瘍でした。大きさはピンポン玉くらいで、かなり大きなものでした。たぶん5年ほどかけて徐々に大きくなったものと思われますと言われました。
手術を早急に行わなければいけませんと日赤を紹介してもらいました。
それからは、慌ただしく過ぎました。新聞の停止・教材発送の停止・玄関マットの交換の停止。毎週来てくれる、クリーニング屋さんへの連絡・母の施設への連絡・そしてペットの猫ちゃんのお世話をどうするか。
また、塾をしばらく休まなければならないことを保護者の方へ塾に来ていただき説明。
色々なことをきれいに解決して、入院致しました。
私が漢字を忘れたり、計算が出来なくなった原因は、脳腫瘍そのものではなく、脳腫瘍が出来たことにより脳を強く圧迫。圧迫された部分に浮腫が生じその、浮腫が引き起こしたものでした。そして、私はその箇所が言語分野であったわけです。もし、前頭葉なら、感情を左右され、暴言などをはいたりするそうです。
手術前に色々な検査と言語や計算の理解力をみるテスト。
手術1日前は、暗算で100から7をまず引き、93からまた7を引いて数を言うテストをしました。残念ながら100から7までしか引けませんでした。そして、手術前なので体を清潔に保つためシャワーを浴びたのですが、どうすれば水が出るのか、お湯になるのか、段取りがさっぱりわからなくなっていました。3月15日に脳腫瘍の診断。そして、3月23日まで、塾。3月29日に手術。23日から6日後に、ここまで来たわけです。
ほんとに、もう、ぎりぎりの状態だったのだなあと、改めて感じました。
手術は当然ですが全身麻酔でしたし、腫瘍はすっかり取り除くことが出来たし、良性でしたので、述語放射線治療もなく、少しずつ日常の生活に今は戻りつつあります。
ただ、問題は開頭手術でしたので、一部剃毛ではありますが、毛、毛毛がない!!
ニット帽などをかぶれば、さも病人という感じです。鬘を購入しました。後頭部に再び毛が生えるまでのしばらくの我慢です。
しかしながら、身内にも医者にも止められたけれど、体力が回復せず歩行も困難だった、退院後一週間塾を再開した私。入院前つまり再開3週間前に宿題を渡し、先取り学習もさせていたのに、蓋をあければ、空白だらけのままの提出。わざと忘れたと言って持ってこない人。先取り学習したところを、もう一度させても抜け落ちている。聞けば、学校でもすでに習っているという。それなのに、何も身についていない。親の心子知らずではありませんが、ほんとにがっかりしました。またまた、ストレスがたまりそうです。
けれど、これまた不思議なのですが、30年間塾を続けているので夜テレビを観る習慣が私にはありません。ですから、自宅でテレビを観たり横になっている方が、きつくて、きつくてたまらないのです。ストレスもたまっているようで実はストレス発散しているのかもしれませんね。いずれにしろ、こうやって、無事退院できたので、また一生懸命生徒の成績・及び人間性アップのために精進してまいります!!
みんながそれに応えてくれるかどうかははなはだ疑問ではありますが(笑)

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