塾のこと、介護のこと。

プログレスゼミナール

私が母を入院させた理由

 


私が母を入院させた理由私の両親は共に認知症になりました。

父は穏やかな性格で子供たちに対しても暴力などをふるうひとではありませんでした。
ですから、認知症になってもそれほど最初は困りませんでした。

けれど、母は、もともと明るく人付き合いもうまいのですが、反面わがままで気性が激しい人。認知症になってからは、それがますます顕著になってきました。
気に入らないことがあると、日傘で私を殴ったり、「今から、この家に火をつけて燃やしてやる!」とか、「電車に飛び込んで死んでやる!」とか、叫びだしてそれは、実の親ではありますが、恐怖心を覚えました。

そのころセロクエルという精神安定剤を服用していましたが、興奮が収まらない日が頻繁になり、少しずつ薬の量も増やしていきました。そして、私もまだ最初の頃は、耐えていました。
けれど、これはやばいと思い始めたのは、母が職場に頻繁に乗り込んでくるようになってからです。私は、学習塾を営んでいます。自宅が三階。塾が二階です。

三階のドアがガチャンと開き階段を下りる音が響きます。私も生徒も生きた心地がしません。
そして、塾のドアを開けつかつかと、私のそばに歩いてきます。その頃生徒が10人ほどいたでしょうか。その生徒たちに私を指さしながら怒鳴ります!
「あんたたち!大きくなってこんなひどい人間になるな!この女は鬼だ!」と。
ひとしきり悪態をついたら塾の外には出ていきます。けれど、また、戻ってきて、今度は「お前たち帰れ!」と、生徒のカバンをことごとく取り上げると、階段の下に投げ捨てるのです。
生徒は「殺される!」と、叫んで慌てふためいて帰ります。

私はどんな目にあってもいい。だけど、大切なお子様をお預かりしているのに、もし、母が、何か危害を与えたら申し訳がたたない、それだけは阻止しなければ、何とかしなければとパニック状態になりました。お医者さんの話では、健常者がセロクエルを飲むと、気絶しそうになるくらいの強い副作用が出るが、母のようになってしまうと、もういくら量を増やしても効かなくなるそうです。

その当時の母の状態を相談すると「そこまで来ましたか。入院を考えた方がいいでしょうね」とおっしゃいました。
私もそれしかないと思いました。認知症は治りはしませんが、進行を遅らせたり、周辺症状の緩和は薬をうまく使うと治まります。

しかし、入院させるまでが、これまた大変でした。自分はボケていないし、病気とも思っていません。ですから、だましだまし連れて行かなければなりません。
精密検査を受けると言って連れて行きました。
そして先生から入院して検査しましょうと言っていただきました。
けれど、ちょっと目を離したすきに姿が見えなくなりました。大急ぎで探しましたが、なかなか見つかりません。
ようやく看護師さんが見つけてくれましたが、不思議なもので、いわゆる火事場の馬鹿力と言うのでしょうか、ものすごい力で看護師さんの手を振りほどき、結局タクシーに着払いで乗って自宅に戻ってしまいました。

次は行く時から警戒しそうなのでいとこに頼んでいとこの車で出かけました。
母は外面は良かったので、私以外の親せきの前などはにこやかでいられるのです。
病院に着くとまず、診察室に私と母で入り、診察室の外には屈強な男性看護師さんが二人待機していました。
入院という言葉を聞くと母は興奮し叫びまくりました。「嫌です!帰ります!入院するくらいならここで自殺します!」
母は、看護師さんに両腕を羽交い絞めにされました。一歩も動くまいと、その場にしゃがみこんだ母を引きずるような形で看護師さんが病棟に連れて行きました。
「あなたたち、こんなひどいことをして恥ずかしくないんですか!」と母は、叫び続けました。
引きずられながら病棟に向かう母のその背中を見ると、涙が止まりませんでした。

かかりつけのお医者様に「心を鬼にして母を入院させました」と、私が言うと「違いますよ。優しさですよ。風邪をひいたら治療するでしょう?お母さんも心が風邪をひいたからそのために入院させたのだから鬼ではないですよ。あなたの優しさですよ」と、言ってくださいました。
私は号泣しました。今でもその時のことを思うと涙が滲みます。

母は、約2か月入院しました。リスパダールという薬を処方されて、すっかり穏やかになりました。戻ってきた母を見て、生徒たちも「おばちゃん、もとに戻ったね。ちっともこわくない」と言ってくれました。
また、母の一件があった後も生徒は誰一人としてやめませんでした。母は一階でたばこ屋と駄菓子屋を長年父と営んでいました。生徒たちは塾に来るのは勉強だからちっとも楽しくはないけれど、帰りに100円玉を握りしめて、駄菓子を買うのが楽しみで、塾に通っていたようなものでした。
「おばちゃん、これ、いくら?」「おばちゃん、当たった。アイス、もう一本ね」
とか言って母とたくさんコミュニケーションをとっていました。ですから、認知症になる前の子供に笑顔で接する母の姿がちゃんと脳裏に焼き付いていたのでしょう。
また、お母様方もご理解があったのだろうと思います。

さて、このあと実はリスパダールをやめないといけない時が来るようになります。
薬には副作用がつきものです。怒りは収まり沈静化しましたが、言い換えれば覇気がなくなる。もっと大げさに言えば人間としての尊厳が保たれなくなってしまったのです。
つまり便や尿を垂れ流しても恥ずかしい、そそうをしたとか思わなくなってしまうのです。
ですから、廊下に汚物が度々落ちていたり、母自身の足にも便が付いたままでも本人が平気だったりで大変でした。

両親とも時を同じくして認知症です。仕事もあります。両親の世話をするのは私一人だけです。父も徐々に暴力的になり、徘徊も多くなり仕事をしていても、耳を済ませておかねばなりません。いつ父が出ていくかわからないからです。これからずっと介護の日々は続きます。
とにかく、まず母のリスパダールの服用をやめました。すると、てきめん、さーっともやが晴れたみたいに母はきりっとした顔つきになりました。明るい笑顔も増えました。結果少々気性も戻りましたが許容範囲でした。

母は、後に脳こうそくをおこしましたが、実は病院で検査したら脳に小さな脳こうそくがいくつも出来ていました。幸い当時大事には至らなかったのでしょうが、母の認知症はアルツハイマーと脳こうそくの引き起こしたものの混在型だったのかもしれません。

そのころは、今私が毎日飲んでいるジュネスのリザーブの存在も知りませんでした。
お医者さんの許可を得て脳こうそくを起こされたご家族にすぐジュネスリザーブを何袋か飲ませたら回復も早くとても症状も軽く済んだというお話を聞きました。
認知症予防にもなり脳の血流も良くする豊富なポリフェノールが含まれているリザーブを日常に取り入れることが出来ていたらなと悔やまれます。
けれど、あくまでサプリに過ぎません。過信は禁物。たた副作用が強い薬ばかりに頼るのも危ない。たとえ医者が良かれと思い処方したものでも、疑問に感じれば何もかも鵜呑みにせず、自分の意見をしっかり持つことが大切だと思います。

私がリザーブを知って母に飲ませることができた期間は僅かでした。病院を退院してからは、また、白内障の手術や人工関節の手術と立て続けで。
結局人工関節の手術後老健でリハビリ中に大きな脳こうそくを起こしてしまいました。
ただ、半身が不自由にはなりましたが、一見したら脳こうそく患者には見えないこと。
そして、言語が不明瞭ではなくはっきり聞き取れること。
同じ時期に脳こうそくになられた患者さんの症状と比べると明らかに軽いのです。
その方はベッドに近い車いすで、なんとおっしゃっているかわかりません。
発見も早かったこともあるのかもしれませんが、少しだけでもリザーブを飲ませることが出来たからかなと思ったりもします。

ジュネス&プログレスゼミナール 小川

care_02立ち上がりの練習風景です。できた後のこのにこにこ笑顔。その様子だけ見れば、ただ足が不自由で車いすなんだとしか思えないでしょう。脳こうそくの人特有の顔面のゆがみもありません。

 

この記事に関連する記事一覧