最近の母
二年ぶりに母の姉とご対面
にこやかな笑顔を浮かべているが、残念ながら実の姉のことは覚えていなかった。
二年前は涙のご対面だったのだけど。
お姉さんの方は私の母が実の妹とは認識していたものの、二年前母の施設で会ったことは、すっかり忘れていて、何度も母が営んでいたタバコ屋のことを聞いてきた。
帰りしな母に「あの人は誰だった?」と聞いてみたが、
それが、誰か全然わからんかった」と困った顔をした。
最近は私の妹、つまり末娘のこともわからないようだ。母がその相手を身内と認識しているかどうかは、話し方でわかる。身内以外の人、例えばスタッフさんとかには敬語を使う。
実の姉にも私の妹にもそういうわけで、敬語を使う。
考えようによっては、社会性は残っていると言えるかもしれない。きちんと、敬語を使い分けているのだから。
先日は妹に私を指さして「あれが、私の娘です」と説明していた。「私もあなたの娘よ」と妹が言うと、困った顔をしていた。
この話を卒業生のお父さんで、私が通う鍼灸院の先生でもある方に話すと、「私のところもそうです。私を私の兄と勘違いして話しますから、カチンときます」と笑いを交えながら話された。
そちらは、実は次男であるそのお父さんが親御さんのめんどうをみていらっしゃるので、何も介護に参加しないお兄さんと間違えられて腹がたってしょうがないのだ。
もし、正直私も母が私を認識しなくなったら、ちょっとがっかりするかもしれない。
家にいるときは下の世話をして、時には暴言暴力に耐え、生徒たちへの危害を与えかねない母に恐れをなして、「殺される」と逃げ帰った生徒たちがこれをきっかけにやめはしないかと、はらはらしながら生活してきた。 そして、そのあとも入院や施設を転々とするたびに色々問題が起き、まあ、大変と言えば大変だった。
辛くはなかった。悲しいという思いもなかった。ただ、体力的には、少しは疲れたかもしれない。
今は、母が施設に入っているので、体力的には随分楽になった。
でも、やはり、塾が忙しくてなかなか施設に行けなかったりしたら、気になってしまう。
また、施設に行っても、あまり元気がない様子だとやはり気がかりである。
今年母は87歳の誕生日を迎える。
そろそろ、父の年を追い越す。人生は一度きりで、親稼業も子供稼業も一度きり。
父を亡くして、あの時こうしてあげればよかった、もっと環境のいい施設で余生を送って欲しかったと、あとからあとから後悔の念が生まれてくる。一度きりでやり直しがきかないものだから、致し方ないけれど、それでも、もう少しどうにかしてやれなかっただろうかという思いが湧いてきてしまう。
母には少しでも父より長生きして欲しい。
そして、また、母の姉と会わせてあげたい。母の姉も早くにご主人を亡くしずっと孤独な生活を送っていた。今の施設に移って、とても穏やかな笑顔になった。お友達もできたと嬉しそうに話してくれた。
瞬間瞬間で、すぐに記憶が飛んだとしても、その一瞬に相通じるものが芽生えればそれだけでいい。
それが、私たちにしてあげられる親孝行なのだと思う。
プロゼミ 小川
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