2018-09

塾のこと

道徳の教育化

道徳の教科化が始まるが、評価するのは難しくないだろうか。 広島長崎に原爆が投下された時の紙芝居を先生が見せてくれたと、小学生。 前列の人は、全員机に突っ伏して寝てたと言う。自分は必死で眠いのを我慢したと。 紙芝居を読む先生も、その親世代も戦争を知らない。 紙芝居を読むのも、カリキュラム通りのことだから、読んだまで。 感受性豊かな先生ならまだしも多分ただ、淡々と読んだのだと思う。子供の心に響くはずがない。紙芝居がどうのこうのではなく、眠らなかったすごいでしょうと、的外れなのだ。 そして、どちらも責めることは出来ない。 もう今はそういう辛いこと悲惨なこと悲しいことを聞いて相手の立場を思いやれる人の方が少ないのではないだろうか。 原爆は、こんなに悲惨だったのよと言っても、無駄。 私の父の兄は沖縄で戦死した。沖縄旅行の際平和の礎に行った。父は兄の名をそこに認めて涙が出たと言った。 だがどうだろう?今はただ、レクレーション感覚、ただの観光旅行でしか訪れない家庭が大半ではなかろうか。それでも、道徳の教育化が始まるとなると、たとえ、行かずともパンフレットかネットで資料を集め、戦争は絶対いけないと思い...