塾のこと、介護のこと。

プログレスゼミナール

丸天うどん?!

 

170412最近久しぶりに塾内で泣いてしまいました。それは、前学年の復習テスト。
採点をしていて、涙が止まらなくなってしまったのです。
「どうしたと?」「全部間違えとった?」
不安そうにたたみかけて聞いてきます。
そうじゃない。ほとんど正解していたので、あとからあとから涙があふれてきたのです。
その子は、あっ!そうそう、このブログの表紙を飾っている、まさにこの男の子です。
この生徒は小1でやってきました。早生まれの小1です。どれだけ、幼かったかわかるでしょう?  本来なら幼稚園の年長さんですよ。
私の塾の卒業生で、既に社会人になっている人の親御さんからの紹介でやってきました。
学校の成績がなかなか伸びない。担任の先生からも心配の声がと。
でも、まだまだこれからですよ。少しやんちゃそうですが、大丈夫ですとお預かりしました。
言葉のキャッチボールはできるし、とんちもきくし、決して知能が低いお子さんとは最初から思いませんでした。
けれど、とにかく気分屋、気持ちが乗らないと、てこでも動かない。泣き叫ぶ。
塾から脱走する。  テストの時は抱っこして最初はさせました。
帰る時はおんぶして階下におろしました。
でも、この子は大器晩成型だと信じて飴と鞭を使い分け、おうちの方が、ご迷惑かけるならやめさせてもと言われた時も引き留めて・・・
今年4年生。「もう、4年生やけんね、俺も。」と、顔つきもしっかりしてきました。
この子に付き添いの意味でやってきたお兄ちゃんも今年中1。
最初は、一歩引いているところがありました。弟に遠慮すらしていました。
あくまで、自分は弟の黒子という立ち位置でした。 けれど、週1の通塾が週2に、そして、小6では、英語も習いはじめ週3回に。 そして、英語で悪戦苦闘しつつも英検5級合格し、新中1で入塾してきた子と自分が比べ物にならないくらい学力差がついていることを実感し、すっかり自信に満ち溢れた顔つきに変貌しました。
やはり、本当にこういう時塾をやっていてよかったなあとつくづく思います。

さて、今回の題名の「丸天うどん」、それが、どう、この話と関わっているのか?
それは、( ;∀;)  教師が涙をいったいどんな時に流すのかということです。
私は、子供の成長に涙を流しました。
しかしながら、ある小学校の担任の先生は、丸天うどんで涙を流したというのです。
「先生、丸天事件話したっけ?」と生徒。 「えっ? どういうこと?」と私。
聞けば、その子の担任の先生は週に3回は泣くそうです。そのうちの1回が、この、丸天事件。
何でもクラスで一番偉いのは担任らしい。 だから、給食も一番に担任に配らなくてはいけない決まり。ところが、ある日のこと、給食当番が最初に配り忘れ、しかも、担任に渡した、丸天うどんの丸天が、浮いてなくて沈んでいたとか。
で、何気なく生徒が、先生の丸天沈んでいると言って笑ったそうです。
すると!! 先生が、な、な、なんと激高!! そして、もう、みんなと同じ教室で食べるのはいやだと泣き叫んだそうな!
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことですね。
例えば塾に高校の先生がお菓子のお土産を持ってきてくれたとする。そしたら、まずは、小学生に好きなものをとらせ、次に中学生。そして、私は最後。それって、あたりまえですよね?
その先生は終業式の日に。みんな私に迷惑をかけたから一人ずつ謝ってくださいと言ったそうです。
言葉悪くてごめんなさい。
謝るのはお前だろうが!!と言いたい。
いったい、いつからこんなになったのかな?
でも、考えたら私の時代も体操服忘れた男子に下着のまましろ!と命令した先生がいたな。グレーのブリーフ姿が今でも目に焼き付いている。かわいそうだった。

今塾が多いのは勉強の遅れを取り戻すためでもなく受験のためでもなく、もしかしたら、学校ではもう習うことのできない人に対する思いやりとか、わけ隔てをしない博愛の心を知るために来ているのかもしれませんね。
道徳を教科化しても教える側がそんなふうなら、絶対子供の心には響かないでしょう。

プロゼミ 小川

人は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬ。

 

人は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬ。
これは、母がよく口にしていた言葉です。
私も最近つくづく思います。
母の施設には100歳の人も多くいます。95歳で、足腰がしっかりしていて、今でも颯爽と歩かれる方もいます。
そうかと、思えば、母より、ずっと若い人が寝たきりの場合もあります。胃ろうをしていて、普通の食事ができない人もいました。この方は気の毒でした。楽しいおやつの時間も何も口にすることができないから。
寝たきりの人も勿論かわいそうです。
けれど、あら?  いつのまにか胃ろうの人が普通の食事に変わっている。
寝たきりの人が車いすになっている!!
スタッフさん曰く正直お年寄りには将来がないと思われるかもしれませんが、こういう奇跡もあるのです。だから、決してあきらめたらいけないんですよと。
ほんとうに母の言ったとおりです。

けれど….
普通の椅子に座っていらした方が車いす、そしてリクライニングの車いすに変わり、点滴の管が痛々しく細い腕に…
この方を見ていたら自然に涙があふれてきました。
もう、まさに骨と皮。
血管、動脈も静脈も透き通って見えて息も絶え絶えです。奇跡は、もう起こらないかも。

この施設は私の友人から紹介されました。義理のお父さんがいらしたのですが、亡くなられました。義理のお母さんはご存命ながら、今病院の施設におられ、私の母がいる施設への入居を希望しておられます。

まだ、空いてないやろう?と友人。 つらいですね。 誰かがもちろん転居も可能性ありますが、亡くなるのを待つしかありません。

脳死判定の時も自分の身内が脳死状態なら、決して脳死を認めたくないし、反対に自分の身内が脳死患者からの臓器提供を望んでいたら、、、。
立場立場で考え方も違ってきます。

今、私が出来ることやるべきことはありふれた日常の一環として淡々と母の施設通いを続け、そこで、目にする知り合いになった方々の死も受け入れ悼み、そしてまた、新しい明日を過ごすだけ。
母との穏やかな日常が長く続くことを祈るだけ。

20170404春になったので少し華やかな服を買ってあげた。
外面の良い母は、私には仏頂面だけど、スタッフさんには、にこにこ。
でも、つまり、まだ、母は私を娘と認識しているってことね!!