塾のこと、介護のこと。

プログレスゼミナール

受験も一段落をむかえました。

 

受験も一段落をむかえました。

今年の中3は3名。そのうち二人は私立専願です。
専願というのは、その私立高校一校だけしか受験しないというもので、私立側にも公立に受かったらそちらにいくわけではないので、メリットがあり、合格基準点も一般の試験より低くなります。ですから、生徒側にもメリットがあります。
また、公立高校は普通科だけが主ですが、私立は保育・介護福祉・情報ビジネスなど多岐にわたりますので、将来の夢がはっきりしていたら、かえって私立の方がいいかもしれません。
私立は付属高校も多いので、きちんとまじめに勉強すればストレートで同じ系列の大学進学も可能です。
今回2人は保育に関心があったので私立専願にしました。一人の生徒は残念ながら進学コースになりましたが、私、毎年、なんだか最終的には神様がその道を決めてくださっているのではないかと思うのです。公立に落ちて泣いた生徒も私立に進んだ後系列の4年大に推薦で受かりました。もし、公立に行っていたら推薦はもらえなかったかもしれないし、一般入試でもしかしたら不合格になったかもしれません。実際彼女の友人は公立から同じ大学を受験して落ちてしまいました。

もう一人の生徒は部活推薦で公立高校に合格しました。
公立高校を希望する人には二通りのパターンがあります。
金銭的な理由もあり、私立ではなく公立に行きたいというか、行かねばならない場合。
それと、行きたい高校がたまたま公立だった場合。
つまり、自分が希望した高校に少々偏差値が足らない、だから、一つ下のランクに落とそうなどとは考えないということです。その、高校に行きたい、でも、偏差値が足らない、だから、合格すべく頑張るというパターンです。この場合は伸びます。具体的にそこに行きたい!!と願うのだから。
でも、どうせ、部活推薦で学力推薦じゃないんだから、頭はたいしたことないんじゃないの?と思う人もいるかもしれません。
けれど、そうではありません。内申点にもある程度基準が設けられています。
そうしないと、高校に入ってからも困ります。
例えば偏差値70の高校に部活推薦で入るとしましょう。ボルト並みの俊足です。
けれど、内申点がオール1だったらどうしましょう?あんまりでしょう。
ですから、この場合でしたら最低オール4はないと推薦はもらえません。
今回の生徒の行きたい高校はそこまで偏差値の高い高校ではありませんでしたが、それでも、最初塾に来たときは惨憺たる成績でした。とても、志望校に合格はできない状態でした。
けれど、彼女は絶対そこに行きたい、そして、一足先に入っている先輩と一緒にプレイしたい、そこ以外は絶対行きたくないという、強い意志がありました。
何がなんでも行きたいんだという思いが強いとがんばるのですね!
塾に入る前は500点満点中250あるかないかの成績だったのに、勝負の2学期、見事に400超えました。椅子が英語ではチェアーということさえ知らず、それこそ、オール4と自分の口ではオールという言葉を使っているのに、それがall、すべて、全部という意味すらわからなかったのに英語は90点とりました。
あんたなんかに推薦はやれない!!と、憎まれ口をたたいていた担任の先生も認めざるを得ませんでした。内申もとても、伸びました。

basketball_layup_woman今は、毎日受験勉強ばかりで体がなまってしまった彼女。早速推薦合格もらった後は、部活三昧です!!

あっ、余談ですが、数年前同じ高校に陸上部活推薦で受かった女子生徒、昨日フェースブックでなんと、電撃婚約発表!!
中学時代から交際していた彼氏とゴールインしたんですって?!知らなかったわあ。

私の塾でせっせと受験勉強していた時に愛も育んでいたとは!!
まったく、妬けてしまいますわ(笑)
でも良かった!!合格・結婚Wでお祝い事あっていい一日となりました。

プロゼミ 小川 文子

在宅か、施設か。

 

両親を介護するとき在宅か、施設かみんな悩むと思います。
私は、もし、両親が足腰しっかりしていたら、在宅は可能だと思います。
認知症も最初は、本人達も自分がおかしくなり始めていることをうすうす感じているので、その恐怖不安の裏返しで、家族にあたりちらします。けれど、だんだん症状が進むと、その感情もなくなるので、まあ、言葉は悪いですが扱いやすくなります。
ただ、あまりにも足腰が達者だと徘徊するので、ケースバイケースです。

私は、父が徘徊と昼夜逆転に危険行為などがあり、しかも、私一人で認知症の両親を介護しないといけなかったので、在宅は無理でした。
父は施設に行く前精神科に入院させましたが、入院中に肺炎を起こし内科の病院に転院、そのあと、お世話になっていたデイサービスのショートステイにお願いしましたが、また、そこで、誤嚥性肺炎を起こし、再度入院。そのあと、今度は別の療養型病院に転院。
もう、そのころは、体力はなくなり、ずっと車いすで目を閉じたまま。
ところが、看護師さんの話では、夜、覚醒、足腰弱っているのに素早い動きでベッドの柵を乗り越えるとか。病院側は骨折などを気にしていて、早く出て行ってほしいという感じ。しかしながら、父の症状というか行状(笑)を聞くと、どこの施設からも断られました。ようやく、引き受けてくださったのは、私の高校の同級生が勤務していた施設。
一週間以上会議を重ねようやくOK下さいました。
余生は穏やかに暮らしてほしいと思ったのもつかの間、わずか4日で亡くなってしまいました。
最初、あの病院に入院させなければとか、最後は在宅介護をしておけばよかったとか、あとからあとから後悔はわいてきます。
でも、いくら悔やんでもすんでしまったことは、戻ってきません。

ですから、母だけは後悔のないようにと、人工関節の手術をさせて、痛がらず歩けるようにと老健でもリハビリに精を出していたのに、脳こうそく。しかも、麻痺は手術した方という皮肉な結果に。お世話になった老健はとても、面倒見の良いところで、母の異変にもすぐに気が付いてくれて、大事に至らずすみました。
急性期を過ぎた後の病院選びで失敗しました。どうして、人工関節の手術後お世話になった病院にしなかったのかと悔やまれました。その病院の上にお世話になった老健があったので系列の病院のほうがまた入りやすいと思ったこともあり、そこにしましたが、ただベッドに寝かされたまま。人工関節で入院した病院はデイサービスのようなシステムもあり、定期的にトイレにも連れて行ってくれました。尿意は残っていたので今度の病院でもお願いしたのですが、無理の一点張り。冷たい感じの病院でした。いずれにしろ、いつまでも病院にいることはできません。また、建前上老健は自宅復帰が目的。しかし、母の状態はそれは不可能なので、結局施設しか行く場所はありません。次の場所を探すようにケアマネージャーさんから催促されました。

介護に詳しい方はご存知と思いますが、よく、待機老人が何万人と言われていますね。
でも、それは、特別養護老人ホームに限ってのことです。有料は、がらがらです。つまり、金持ちはそれなりの素晴らしい設備の整った、まるでホテルのような施設に入れるのです。
けれど、我々一般市民はそういうところは無理なので、安い特養に流れてしまうのです。
私もその一人。けれど、幸運にも最初入った施設はオープンしたばかりなので、とてもきれいで設備そのものは行き届いていました。
これで、また、穏やかな日常が母に戻ってくると思いましたが、費用が安いなりにサービスは全然行き届いていませんでした。
それは、そこのスタッフがどうのこうのというのではなく、特養というは、規則としてデイサービス併設が出来ないのです。つまり、衣食住は保証されていますが、ただ、それだけ。たまにボランティアの方がいらして寸劇などを披露して下さいますが、それ以外は起きて、食べて、お風呂に入ってテレビ見て、寝ての単調な毎日の繰り返しです。

母の表情は日を追うごとに暗くなってきました。涙が出ました。こんなはずでは、なかった。父に対してできなかった分母に親孝行がしたいのに、このままでは、生ける屍状態。
どこか、有料の施設を探そう。そう決心しました。実は、父も有料だったのですが、交通の便があまりよくないので、塾の授業の準備などに少し困りました。
そして、ほんと、不思議なのですが、父は高校時代の友人が勤めていた施設。母は、幼児教育科時代の友人の義父さんが入居している、施設に入ることになりました。

その施設に入ってからはみるみる元気になった母。飛び切りの笑顔を見せてくれます。
私の毎日の生活はその分とても苦しくなりました。けれど、両親は貧乏のどん底で必死に私たち姉妹を育ててくれました。やはり恩返しはしなくてはなりません。罰があたります。
去年は子供劇団の訪問に感涙。久々のメイクにご満悦。そして、今年は施設内にできた神社で大吉のおみくじ引いて大喜び。切り詰めた生活の中にも喜びはあります。まだまだ、頑張りますよ!!