2015-10

塾のこと

昔の子供と今の子供

塾を始めて27年。その間に保護者の考え方も子供の勉強に対する姿勢もずいぶん様変わりしてきたように感じます。 よく、学級崩壊の話を聞きます。担任は決して新人の先生ではありません。ベテランの先生です。にもかかわらずクラスをまとめることができなくなり、うつ病を患い休職退職を余儀なくされた先生も多いと聞きます。 塾を始めたころは、最初生徒さんをお預かりする時「先生、うちの子がいう事を聞かなかったら殴るなり蹴るなりしていただいて構いません」とおっしゃるお母さんが大半を占めていました。 そのころのお母さん世代はほぼ私と同年代でした。つまり、私たちが小中学校の頃体罰という言葉すら聞いたことがなかったような時代です。 悪いことをして口で叱ってもわからないのなら手が出る。そこに感情をむき出しにして怒りにまかせて体罰をふるう先生など皆無だったと、思います。 私が今でも印象に強く残っているのは、高校生の時、クラスの半数以上の男子が平日朝からボーリングに興じ大幅に遅刻して登校した時のこと。 運悪く?よその担任の先生にぞろぞろボーリング場に入っていく姿を目撃されていました。そして、全員の名前を(女子高が前身だっ...
介護のこと

私が母を入院させた理由

私の両親は共に認知症になりました。 父は穏やかな性格で子供たちに対しても暴力などをふるうひとではありませんでした。 ですから、認知症になってもそれほど最初は困りませんでした。 けれど、母は、もともと明るく人付き合いもうまいのですが、反面わがままで気性が激しい人。認知症になってからは、それがますます顕著になってきました。 気に入らないことがあると、日傘で私を殴ったり、「今から、この家に火をつけて燃やしてやる!」とか、「電車に飛び込んで死んでやる!」とか、叫びだしてそれは、実の親ではありますが、恐怖心を覚えました。 そのころセロクエルという精神安定剤を服用していましたが、興奮が収まらない日が頻繁になり、少しずつ薬の量も増やしていきました。そして、私もまだ最初の頃は、耐えていました。 けれど、これはやばいと思い始めたのは、母が職場に頻繁に乗り込んでくるようになってからです。私は、学習塾を営んでいます。自宅が三階。塾が二階です。 三階のドアがガチャンと開き階段を下りる音が響きます。私も生徒も生きた心地がしません。 そして、塾のドアを開けつかつかと、私のそばに歩いてきます。その頃生徒が10人ほど...