塾のこと、介護のこと。

プログレスゼミナール

猫にも認知症?

 


ようやく緊急事態宣言も解除されました。しかしながら、母の施設は相変わらずオンラインのみでの面会がかれこれ二年間続いています。
最初、母を施設に入れたころは週に2回面会に行っていました。友人からは多くない?
月1でもいいくらいよと言われていましたが、行かないと安心しませんでした。けれど、3年ほど前に私自身が大病を患ってしまってからは、入院の時は勿論行けずじまいで、そのあとからは週1に変更しました。
理由の一つは、私の入院中は全面的に施設にお任せしていたのですが、これといったトラブルもなく、週に2度3度行かずともお任せで大丈夫だと思ったこと。
それと、もう一つは、母の認知症がかなり進み、もう、私が誰だかわからなくなっていることです。結果私と頻繁に会えなくても淋しがらなくなりました。
オンラインの面会でも、目も合わないし、そこには能面のように無表情な母の姿があるだけです。けれど、血色もよく体調面はすこぶる良好だということはわかりますので、安心です。

今気がかかりなのは、我が家の猫のドナちゃんです。入院の際、母は施設にいたのでよかったのですが、一人暮らしの私でしたので、入院するとなると、ドナちゃんの生活に支障をきたします。そこで、姪や妹に頼んで、毎日でなくてもよいのを条件にお世話を頼みました。
食事や排泄の始末にはそういうわけで、困らなかったのですが、世話が終われば姪達は帰ります。だから、ドナちゃんは二週間以上淋しい夜を過ごさねばなりませんでした。それが、たぶんきっかけでしょう。ドナちゃんは、分離不安症のような状態になりました。ペットに特有の病気で、飼い主と離れられなくなる。いつもついて回る。少しでも姿が見えなくなると鳴き続ける。その状態が結構続きました。しばらくして、少し収まったのですが、今ドナちゃんは15歳くらいで結構なおばあちゃんになりました。時折ぼ~っとしているかと思えば、今度は、狂ったように鳴きじゃくります。そして、最近慢性腎不全に加え、膀胱炎の症状も出始めました。人間にも膀胱炎はありますが、猫ちゃんは精神的な不安からも起こるそうです。また認知機能の衰えからも起こりやすいとか。
抗生物質などを投与して、今は療法食に切り替えて毎日を過ごしていますが、認知症らしき症状は進んでいます。
鳴いて何事かを訴える。だいたい、私の言葉は理解しているし、私もドナちゃんの返事やしぐさで何を欲しているのかわかります。けれど、最近は、たぶん、ドナちゃん自身もわからないようなのです。鳴くには鳴く。けれど、私に何を訴えているのか、何をどうして欲しいのかわからないようなのです。その場にじっと、座り込んで、次のアクションを起こさず、ただキョロキョロするだけです。
そこで、とりあえず抱っこします。すると、ちょっと安心したような表情を浮かべ、しばらくすると、水を飲みに行ったり、トイレに行きます。
鳴く⇒抱っこする⇒ドナちゃんが別のことを始めるので私も家事などをし始める⇒また、鳴く⇒どうも二階に行きたいようだ。階段を下りるのは何とかできるが上るのが一苦労みたい⇒抱っこして二階に行く。⇒また、鳴く⇒今度は下に降りたいのだけれど、もう疲れてしまったの合図の鳴き声みたい。
この、ルーティンの日々が少しずつ増えていきます。一たび寝たらかなり長時間寝るので、その間にチャチャっと用事を済ましています。

これからは受験真っただ中に突入するので、指導にも準備にも時間を割かねばなりません。
両親が家にいた頃は、授業中にも怒鳴り声を出しながらやってきていたので、それを考えれば人間の認知症よりは生徒への危害はないので助かりますが、一人にさせている時間は長いので、これまた、どうしているかと心配になります。

なんだか、人生って次から次へ色々な困難が待ち構えていて、心底楽しめる時期って短い気がします。最近は20代くらいのことが思い出されてならない私です。
後悔先に立たずとは、よく言ったもので、後から気づくからあとで悔やむわけであり、その時々では、いくら、将来後悔するよと、親や周りの大人に言われても若者は突っ走る。
中3になったら困るからと言っても耳を貸そうとせずに結果今慌てふためいている受験生。
だから、言ったでしょうと言っても、もう過去に戻って勉強をやり直すことはできない。
これから先、勉強以外でも苦しみ・辛さ・後悔を味わう日々の連続だということも、タイムトラベルで、将来を垣間見られる人しかわからないし、当然それは、不可能です。
ああ、あの時は失敗もしたけど、楽しかったな、でも、今の方がもっと楽しいやと思える人生を生徒達には送ってほしいものであります。

プロゼミ 小川 文子

コロナ禍で、また取沙汰される教育格差

 


収まるところを知らない、コロナの感染。福岡市内でも最近学級閉鎖が相次ぎました。
変異株は若年層に感染しやすいことをまさに物語るもので、ほんとに毎日綱渡りの状態で塾での指導をしているという感じです。
最近、東京より大阪の方が感染者が増加し、その中での中学生の動向を半年間追い続けたドキュメント番組を見ました。

休校の際のオンライン授業。ここで、まず浮き彫りになるのがデジタル格差。端末を学校が貸し出すにしてもWi-Fi環境がなく、貧しい家庭は、最小限のギガ数しか契約していないため、ずっとオンライン授業に参加できないという悩み。
母子家庭の子は、母親が飲食業のパートの道を絶たれ再就職も難しく高校進学をあきらめそうになる。これには、学校側がきちんと説明するべきであったと思いますが、今は就学支援制度が確立されているので、たとえ、私立校でもさほど毎月の費用はかかりません。
けれど、考えたら制服代とか教科書代とか最初はかなりの出費です。その辺の計算をきちんとして、ボランティアで塾を開いている代表の人が母親に説明。どうやら、なんとか、この子のケースは高校進学を制度利用で諦めなくて済むめどがついたようでした。
そして、そのあと、学力の差と親の収入の相関性がデータで示されました。確かに年収が高いほど、子供の学力は高かった。でも、あくまで、一般的なデータです。この問題になると、私はいつもイライラします。多分、何度も今までも言ってきていますが、貧乏だから、勉強できなくて、金持ちの家に生まれたから勉強できるとか、なぜ、断言できますか?
子供は親を選べません。ですから、裕福な家に生まれる子、かつかつの生活を強いられている家庭に生まれる子は、最初から生活の文化程度は違います。
ですが、教育は平等です。お金持ちの家の子に勝とうと思ったら、スポーツか勉強しかありません。そこで、奮起するかどうかだけの違いで経済的な格差は関係ないです。
だって、スポーツ推薦・学力推薦が今の世の中あるんですよ。秀でた人は無償で大学に行ける世の中です。ただ、勿論そういう人たちは選ばれしもの。普通の人は、そうはいきません。
けれど、それでも腐らずにある程度努力を重ねれば、奨学金制度などを利用して、志望校への進学は可能です。ですから、親の収入格差=子供の学力格差には、やはり異を唱えたい私です。

けれど、そのあとの人間関係の豊かさと、学力の関係については、う~んと考えさせられました。人間関係が豊かな子ほど成績がいいというのです。家庭環境・部活・クラスなどの色々な人たちと和気あいあいと、楽しく密に交わっていることにより、精神の安定が保たれ自己肯定感も生まれ勉強にいそしむことができるというような内容でした。
私は、塾で生徒たちを指導していて、全然集中力のない子や、何度も同じ間違いを繰り返す子たちに対して、咤激励より、叱咤・叱咤だけの時が多々ある気がします。いわゆる、昭和時代の根性論というやつです。
やればできる! 努力は嘘をつかない! 怠けるな! 昔の生徒は食事もせずに走って塾にきていたのよ! 熱があろうが気分が悪かろうが這うようにしてきていたのよ!と、もう、ぷん、です。

でも、考えてみたら、多くても週に3回しか顔を合わせないわけで、それ以外のみんなの様子は知らないわけです。塾で見せる顔とは、別の表情を彼らは家で、部活で、クラスで見せているわけです。
昔弟さんが交通事故にあい、手術をしていた当日も塾に来ていた子がいました。私はそれを知りませんでした。また、父親を亡くした子がお通夜やお葬式にかぶらなかったのか、普通の顔をして、塾に来ていたこともありました。どちらも、他の塾生は同じクラスとかだったので、知っていたのに私に告げなかったのです。
後で知ることになり、驚いたと同時に、もしかしたら、その子たちは塾に来ていても集中できずにいて、理由を知らない私は当時怒り狂っていたかもしれません。

難しいなとつくづく思います。成績が伸びないのは、やる気がないわけでなく、どうしてもやる気が出ない何かの原因がどこかに潜んでいるのではないか、そこに、目を向けずに頭ごなしに叱ってはいないか?
どこかの場面で人間関係がうまくいっていないのではないか?

今までは学力を伸ばすために色々手を変え品を変え生徒たちに接してきましたが、まずは、心の安定を図るすべを考えることに重きを置くことの方が大事なような気がしてきました。
30年以上塾を続けていても、なかなか正解が導き出せないでいる私であります。

プロゼミ  小川 文子

コロナが続く中しっかりと今年も桜が咲きました。

 


一向にトンネルの出口が見えない中でも、生徒達はいつものように学校に行き、そして、受験を迎えました。
昨年は、受験者が400人を超える高校のみであったWEB上での公立の合格発表は、全公立となりました。そして、なかなかスムーズに移行できなかった教育委員会のホームページも随分と改善され、わかりやすくお目当ての高校を選択することができるようになっていました。
あらゆる面でのデジタルの推進化に結果的にコロナが一役買った形になってしまい、ほんとに皮肉なものですね。

中学校でも土曜日などにオンライン授業が設けられ、登校してもいいし、自宅から授業に参加してもよいということで、塾の生徒達も各々どちらかを選択し授業に臨みました。
「どんな感じだった?」と、聞くと、即、フリーズしたそうです。教育委員会が決めたカリキュラムに従わねばならないというのが正直なところでしょうが、そりゃあ、曜日、時間をずらさなければ動きは悪くなるでしょう。回復した後もたびたび遮断されたりもして、ただ、疲れただけ、何も頭に入らなかったそうです。
実は、私も昨年、ある私立高校の先生に誘われてSkypeによるオンライン授業を参観したことがありました。まず、Skypeのアプリのダウンロードで四苦八苦。ようやく授業に参加できましたが、やはりなかなかスムーズには進めませんでした。

考えてみれば、今こうやってワードに入力していますが、私が幼稚園教諭の時代は、ガリ版刷りで園便りを作成していました。FAXもようやく出始めた頃で、送信するときもおっかなびっくり。ポケベルさえもありゃしない。ほんとにアナログが全盛の時代に生きた私は今の世の中のスピードについていけません。

テレワークが主流になり、いわゆる「おうちごはん」も多種多様となりました。主婦も若者も何のためらいもなくごく自然にレトルトや、冷凍食品や、カップ麺などを購入します。
勿論、かく言う私もですが、私が若いころは、そういった類の食品はまだあまり開発されていませんでした。

私が高3の頃『ヤング・oh・oh!』というテレビ番組がありました。若かりし頃の明石家さんまさんや、島田紳助さんらが出演していて、大阪での公開録画でした。会場のお客さんと一体になったゲームみたいなものもあり、お客さんが勝利すると、プレゼントとして「カップヌードル」がもらえました。
??? 何? カ、カ、カップヌードルって?と私はず~っと思っていました。
食文化というものも地方にやってくるまでには時間がかかる時代。カップヌードルの正体がわかるのは、それから、随分たってからのことでした。今では忙しい時にはすっかり重宝していますが(笑)

でも、私、思いました。
明治維新の時代に、もし生まれていたらと。ある日を境に江戸から明治へ。ちょんまげから、散切り頭へ!!
今より、もっともっと国民は大変だったろうなと。
そして、太平洋戦争の前後も!!
例えば、量のはかり方。今までは。匁だったのがgですよ?! 長さも一尺とか言っていたのに㎝です。私の両親世代も、それはそれは、面食らったことでしょう。今のアナログがデジタルに変わっていったことよりも衝撃だったと思います。だって、移行期間はないんですもの。有無を言わせないんですもの。あれよあれよという間に世の中は変わっていった。
戦前に信じていたすべてのものが、敗戦となったその瞬間から否定されたのですから。
教科書も黒塗りです。教師も完全に指導内容を変えねばなりません。天皇は神ではない。象徴となり、国民に主権はあるのだと。

今年から高校数学が中学に下りてきます。理科なども変わります。高校時代、物理で0点をとったことがある私。数学なんて何を習ったかも覚えちゃいません(;^ω^)
でも、弱音は吐けませんね。ガリ版刷りの頃が懐かしくはありますが、やはり、先人たちもそうしたように今を生きる人間は目を背けずに新しい時流に乗るべく日夜努力しなければならないのでしょう。幸い今はコロナ禍であっても戦時中ではないのだから。平和なのだから。先人たち(つまり今のお年寄りたち)が青春を犠牲にして守ってくれた日本の今を生る私たちの義務なのかもしれないのだから。

合格おめでとう。

私立

東福岡 特進英数コース
中村女子 スーパー特進(全額特待)
公立
福岡中央高校
筑紫が丘高校

プロゼミ卒業生の大学合格情報

九州大学・北九州大学
佐賀大学
同志社大学・立命館大学
福岡大学・西南大学
日本大学・九州産業大学  等々

新年あけましておめでとうございます。

 


新年あけましておめでとうございます。

昨年は、コロナウイルスの影響で、世界中が混乱しました。今年こそは、よい年にと願いたいけれども、今までにも増して感染者数が世界中で増えており沈静化には、程遠いようです。
日本には、外国のようにロックダウンができないので、結果的にお願いベースでしかないと、行政は言います。けれど、残念ながら、いくらお願いしますと訴えたところで、自分には関係ないやと思っている人が多いのも事実です。

今日のことですが、電車に乗る前にICカードにチャージしようと、「チャージお願いします」と係の人に千円札とカードを渡し、チャージ後は「ありがとうございます」と言ってカードを受け取りました。次に、また別の女性がチャージするために窓口に向かって行っていたので、何の気なしに見ていると、係の人に無言でお札とカードを渡し、チャージ後も無言のまま受け取っていました。また、食料品売り場で列に並んでいた時、前の人がいつまでも何やらレジの人と話していました。今は、必ず清算前にレジ袋の有無を問われます。その人のかごの中には2点くらいしか入っていなかったので、レジ袋のことをずっと話す必要あるのかな?と思っていると、その人はレジの人と話していたのではなく、携帯相手に向かって話を続けていたのです。今の若者はBluetoothイヤホンで話すため、携帯自体を耳元に置いていないので、まるでレジの人と話しているかのように、見えたのです。これまた、黙ってお札を渡し、いや、携帯相手と話し続けながら、渡して、黙ってお釣りを受け取りレジの人に会釈もすることなく去っていきました。完全に自分たちが優位に立っていて、相手を見下している態度です。確かにお客様は神様ですという言葉も以前流行したように、そこに上下関係は成り立って仕方がないのかもしれません。以前、似たような光景をコンビニでも見たことがあります。その人は、コンビニの近所の保育園の先生でした。お昼休みに昼食を買いに来たのでしょう。私は、その時、この人に指導される園児はかわいそうだと思いました。
今の人たちは、本当に人に対する思いやりや敬意が希薄です。たとえ、こちらが客の立場であっても、やはり人としての接し方は最低限のマナーとして持っておくべきだと私は思います。コロナのことにしても街角インタビューなど聞いていても、「いや、大丈夫でしょ。周りにもコロナの人いないし。緊急事態宣言?別に関係ないです」とあっけらかんとしています。
自分が感染しても勿論困りますが、自分たちの軽はずみな行動がほかの人たちにも感染を広げることになるという自覚などをなぜ持ち合わせることができないのでしょうか?

そして、申し訳ないですが、その人たちって、いったい親御さんからどんな教育を受けてきたのかしらと思ってしまいます。教育とは、学問の知識だけを教え込むのではないはずです。
人として、何が一番大切かを、親御さんは、まず教え込まねばなりません。塾をやっている身としておかしいかもしれませんが、私は、やはりそこが教育の第一歩だと思っています。

相手の立場になって物事を考えるということが、なかなか実行できない人たちの集まりでは、コロナ感染に歯止めはかからないかもしれませんね。 私は、時折、うっかりマスクを忘れてしまい「大丈夫、ならんけん」と言う生徒たちに、冗談めかして「いやいや、あなたたちはならなくても、私に移ったらいかんやろ? 私は高齢者なんだから、重症化する恐れがあるんだから」と言って、塾に常備しているマスクをつけさせます。
みんながみんなを思いやる。ただ、このことだけを実践したら、春ごろには一旦であっても収まるかもしれませんね。

昨年は卒業式も入学式もなし。小6から中1への移行がままならなかった為、基礎学力がついていないままの生徒がとても多いです。学校の5教科の平均点の殆どが50点前後です。中1の一学期の簡単な英語ですら、その有様です。いつも、お年寄りや子供のように、弱者が犠牲になります。辛いですね。 けれど、長い歴史の中で戦争や大災害などありとあらゆる災難を我々日本人は乗り越えてきたのだという、人間の偉大さ、強さも、また、改めて感じることができるいい機会にもなった気がします。
今年こそは、本当に心もぽかぽかになる春が訪れることを願ってやみません。

プロゼミ  小川 文子

もうすぐ母の誕生日

 


もうすぐ母の誕生日

今回は久しぶりに介護について書いてみたいと思います。

父の七回忌を昨年済ませ、今年は、このコロナ禍の中、叔母が亡くなりました。91歳でした。母も、18日に、その歳になります。母は、施設にいますが、コロナの影響で面会は禁止。ただ、ラインでのビデオ通話ができましたので、日頃の母の様子は、わかります。でも、認知症も随分進み、ライン電話で「お母さん」と呼び掛けても何の反応も示しません。昨年くらいから、既に私が娘だということは認識していませんでしたが、笑顔はこぼれていました。でも、今はもう、能面のようです。
ただ、ある意味、そっちの方がいいかなというか、よく、ここまでたどり着いたという思いも正直あります。
両親ともに認知症で一人で自宅で介護をしていた時のことを考えると夢のようです。

最近NHKのTV番組で、「デイアペイシェント~絆のカルテ~」というドラマが放映されていました。親愛なる患者様なのでしょうが、実態はモンスターペイシェントに振り回される医師と、その患者たちの物語で、その中に認知症や、介護問題が絡んできます。
その、ドラマを観て、ほんとに、身につまされると言おうか、涙があふれて仕方のない場面がたくさんありました。
ある男性の患者は自分も糖尿病などの持病を抱えている中、介護離職。経済的に困窮する中、一人で、認知症の母親の介護をしています。母親は、ベッドに寝たきり。言葉もろくに発することができないので、息子を呼ぶときは、ベッドの鉄の柵を棒で、ガンガンたたきます。息子が返事するまで、いつまでも、ガンガンとたたき続けます。息子は、いらいらしながらも、母のもとに行き、下の世話もします。
ここで、既に私は、滂沱の涙。普通の人なら、「えっ、ここ、泣くとこ?」と、思うでしょうね。 私、今、この文書いているときにも、涙が出てしまいます。
この、「ガンガン」の音、私にもこびりついています。それは、私が塾で生徒たちを指導しているとき、いつまでも自宅に戻ってこないので、母が自宅のスチール製のドアを棒でたたいているときの音とそっくりでした。
建物の構造を説明しますと、2階が塾で、3階が自宅です。そこで、3階の扉を開き、ガンガン鳴らすのです。当然、生徒はおびえます。へたしたら、塾に乗り込んでくるからです。
出て行けとカバンを投げ捨てられるからです。「おばちゃんが怖い」と、泣いた子もいます。「殺される~!」と叫んで、逃げ帰った子もいました。「やめて頂戴」と言ってもわかるはずはありません。手を変え品を変えながら、おだてたりもして、興奮が収まるのを待つしかありません。私自身ならどんな目にあってもいいのですが、大切なお子様をお預かりしているわけだから、そのお子様を危険な目にあわせてはいけないと、それはそれは必死でした。
また、私が、がんがん鳴らしたことも何度もあります。塾を終え、自宅のドアを開けようとしても、開きません。鍵を閉めているのです。鍵だけなら勿論いいのですが、チェーンをかけているので、入ることができないのです。インターホンを鳴らしても気づきません。高齢者になると、聴力が衰え、高い音は聞きづらくなります。ですから、あの、「ピンポ~ン」は、何度鳴らしても寝ていたら尚更聞こえません。だから、ドアをたたくしかありません。何度も何度も、がんがんと。毎回、両親のどちらかが気づいて、開けるまで1,2時間かかる時もありますし、そもそも、認知症なので、チェーンをかけたのは、自分たちのくせに、外し方がわからないのです。そこで、また、必死で開け方を説明せねばなりません。
そのころの記憶が蘇ってきて、ほんと、泣けて泣けてしょうがありませんでした。
最終回では、いつも、その患者にいちゃもんをつけられる医者が、その患者の家を訪ねます。
劣悪な環境でした。たまたま患者は留守。母親の息子を呼ぶ言葉ではない、喚き声と例のガンガンが響き渡ります。そこへ、息子である患者が戻ってきて、「何しに来た!貧乏人を馬鹿にしにきたのか!」と叫びます。そう言いながら、息子はいつまでも喚き続ける母親のもとに行きます。「わかったから!わかったから!」と、怒鳴りながら。
でも、その手はしっかりと、母親の手を握りしめています。もう、ここで、また涙。
親子って、本当に切っても切れない絆があるんですよね。色々大変な目にあわされても、決して捨てることなんてできないんです。でも、もう、自分自身の生活がいっぱいいっぱいで精神的に耐えられなくなったら、その時は施設を頼っても致し方ないと思うんです。
よく、何も自分たち自身に介護の経験もなく、机上の空論よろしく、施設に親を預ける人たちを鬼畜呼ばわりしますが、決してそんなことは、ありません。姥捨て山だという人もいます。でも、劣悪な環境に一日24時間ベッドの上に寝かされたままの方が、どれだけ人間の尊厳が失われていると思いますか?
実は、この医師も母親が認知症になり、自分は仕事で上京しており、実家の父親と妹に介護を頼むしかなく、罪悪感を感じています。けれど、だからと言って、たくさんの患者を抱えている自分が離職することはできない。結果、その医師の母親も施設に入ります。父親も医師で妹は医療事務などを手伝っており、そこに認知症の母親がいたら、とても仕事にならないからです。
私も、生徒を指導しつつ、常に耳を澄ませていました。父が徘徊するからです。ドアが開き出ていく気配を感じたら、生徒を待たせて、父の徘徊を阻止せねばなりません。また、母親の乱入を防ぐために睡眠薬を飲ませにも行かねばなりませんでした。あとは、母が激高して、「今から火をつけて家じゅうを燃やしてやる!!」とか、言い出すようになってからは、とても一緒には、暮らせないと思いました。もし、本当にそうなれば、人様にも迷惑をかけてしまいます。密集地ですから、瞬く間に一帯は火の海と化します。
また、仕事の間は、両親の面倒が見られませんから、その間、母が下の始末ができずに足に汚物をつけたまま、歩き回っていても気づきません。父がトイレではない場所で用を足しているのもわかりません。塾での指導を終え、ドアを開けたときの異臭で初めて気づきます。
以前も書いたかもしれませんが、ペットも飼っていたので「うん? お父さんかな?
お母さんかな? それとも、ドナちゃんかな?」と考えねばなりません。でも、猫のドナちゃんは、いつもトイレで用を足しますし、粗相をしたことはありませんから、両親のどちらかになります。汚物のついたおむつをそのままどこかに隠しこんでしまう時もありました。早く探さなければ、うじがわきます。このように、特に、誰にも頼ることができず、仕事を抱え、片親のみならず両親の介護を自宅でするのは、困難だし、私は女性だからそこまでにはなりませんでしたが、必ず劣悪な環境に陥ります。ですから、自分のためというよりは、親のためにも施設をお勧めします。もちろん、その際、施設選びは慎重にすることは、言うまでもありません。

今思い返してみても、ほんと、一人で、よく、頑張れたなあと思います。でも、子宮筋腫の手術をした時も、脳腫瘍の手術をした時も当時は大変だったのですが、振り返ってみたら、それはもう遠い昔。まさに忘却の彼方で、介護に関しても同じ。
母が、塾に入ってきて、段ボール箱を指差しながら「新しい生徒さん?」と言ったことや、視力検査で「私の勘じゃ上に穴が開いている」とか、父が「今から電車を買いに行く」と言って、自転車に跨ろうとした時に、母が「いやあ、お父さん、大きすぎて家には、入らん」に対し、「なら、倉庫を借りる」と、一見話の辻褄は合い、私が「今日、電車屋さん、休みだって」というと、「そうか」と素直に自転車を降りたことなどが、懐かしく思い出され、そして、つい吹き出してしまいたくなります。今回のドラマで、辛かったことも少し思い出しましたが、それは、ごく、たまにです。

時が解決してくれるというのは、ほんとに、その通りだと思います。
そして、辛いことよりも、絶対楽しいことの方が、いつまでも心に残るものです。

プロゼミ 小川 文子

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